弁名 / 文質體用本末
有對質言者。如曰質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬。然後君子。又曰。文猶質也。質猶文也。皆以人言。質者質行也。謂孝弟忠信類。文者謂學詩書禮樂。其言辭威儀煥然也。唯質而無文。鄕人而已。學而成德。然後爲君子。但其有質行而文不足者。未免鄙野之誚。文而無質行者。其所學不能成德。唯記憶耳。故以爲史也。如曰行有餘力則以學文。曰十室之邑。心有忠信如丘者。焉不如丘之好學也。皆言雖有質行。不學未免爲鄕人焉。如曰禮後乎。曰忠信所以進德。皆言苟無質行。雖學文不能成德焉。
新字:有対質言者。如曰質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬。然後君子。又曰。文猶質也。質猶文也。皆以人言。質者質行也。謂孝弟忠信類。文者謂学詩書礼楽。其言辞威儀煥然也。唯質而無文。郷人而已。学而成徳。然後為君子。但其有質行而文不足者。未免鄙野之誚。文而無質行者。其所学不能成徳。唯記憶耳。故以為史也。如曰行有余力則以学文。曰十室之邑。心有忠信如丘者。焉不如丘之好学也。皆言雖有質行。不学未免為郷人焉。如曰礼後乎。曰忠信所以進徳。皆言苟無質行。雖学文不能成徳焉。
書き下し
質に対して言ふ者有り。「質文に勝てば則ち野、文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子」と曰ふが如し。又曰く、「文は猶ほ質のごときなり、質は猶ほ文のごときなり」と。皆人を以て言ふ。質とは質行なり、孝弟忠信の類を謂ふ。文とは詩書礼楽を学びて、其の言辞威儀の煥然たるを謂ふなり。唯だ質にして文無きは、郷人のみ。学びて徳を成し、然る後に君子と為る。但だ其の質行有りて文足らざる者は、未だ鄙野の誚を免れず。文ありて質行無き者は、其の学ぶ所徳を成す能はず、唯だ記憶するのみ、故に以て史と為すなり。「行ひて余力有れば則ち以て文を学ぶ」と曰ひ、「十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん、丘の学を好むに如かざるなり」と曰ふが如き、皆質行有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふ。「礼は後か」と曰ひ、「忠信は徳に進む所以なり」と曰ふが如き、皆苟くも質行無くんば、文を学ぶと雖も徳を成す能はざるを言ふ。
現代語訳
質に対して言う場合がある。「質(生地)が文に勝れば野暮であり、文が質に勝れば史(記録係のように上滑り)である。文と質がほどよく調和して、はじめて君子である」というのがそれである。また「文も質と同じく大事であり、質も文と同じく大事である」という。どちらも人について言っている。質とは質行、つまり孝弟忠信の類をいう。文とは詩書礼楽を学んで、言葉や立ち居振る舞いが鮮やかに整っていることをいう。質だけで文がなければ、ただの村人にすぎない。学んで徳を成して、はじめて君子となる。ただし、質行はあっても文が足りない者は、野暮だというそしりを免れない。文はあっても質行がない者は、学んだことが徳にならず、ただ記憶しているだけだから「史」というのである。「行って余力があれば文を学ぶ」、「十軒の村にも、きっと私(孔子)ほど忠信な者はいるだろう。ただ私ほど学問を好まないだけだ」というのは、どちらも、質行があっても学ばなければ村人のままであることを言っている。「礼は(素地の)後か」、「忠信は徳に進むためのものである」というのは、どちらも、質行がなければ文を学んでも徳を成せないことを言っている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一楊子曰学者所以求為君子也。言ふ意は、学問をするは何の為ぞや。君子とならんが為なり。君子とは有徳人を云ふ。君子の字義は、易の正義に、人の君となりて万民を子のごとくする徳ある人をいへり。賤くして下にありても、其徳あれば君子と称す君子となるとは人となるなり。学ばざる人は云ふにたらず。学んでも君子とならずんば、学ばざるに同じくして、人と生れたるかひなし。君子となる事容易からず。しかれども、志を立ておこたらずんば、必其功あるべし。古語にも、志あるものは其事つひに成るといへり。学は終身のことなり。一息もいまだ残れる内は、此志怠るべからず。是人の一生の間のつとめなり。
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『学則』答屈景山書夫れ学問なる者は君子の事なり。君子は争ふ所無し。争へば斯ち徳を害す。問ふ者は弟子の事なり。弟子の礼を秉りて訟ふる者の鬩ぎを用ふ。鬩げば斯ち礼を害す。徳と礼とを害する者は、君子由らざるなり。孟子の弁を好みて楊墨を闢けしより、其の時の已むを得ざるに由ると雖も、亦た古の道に非ざるなり。不佞窃かに焉を惜しむ。爾後、稷下の市学、田巴一日に千人を服す。流風の扇ぐ所、是非蜂涌し、百世に紛呶たり。悲しいかな。彼の浮屠の勘弁有るが若きは、則ち亦た訟へを聴く者の道なり。儒の黠き者、陰かに其の術を操り、以て人を窺ひて自ら憙ぶ。乃ち名教の罪人なり。
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『初学訓』巻之三一善を行ふに、愛敬の心を本とすべし。其人に随ひて、愛敬に厚薄有るべし。一学問するに、道を知らんことを以て心とし、善を行ひて、人を愛し助くるを以て事とすべし。是、学問の要とする所、本を務むるなり。其目的は、君子とならんことを期するを以て志とすべし。然らずして、才学のみに心を用ひ、是を以て、みづから誇り、人を侮る故、書を読まざる時より、心ざま、かへつて悪しくなりもて行けり。是、君子となることを好まずして、小人となることを学ぶなり。書を読むによつて、かへつて小人となるは口をし。もし如斯ならば、学問すれば人品悪しくなると、俗人のいへるも宜なり。かかる学問は、せざるに如かず。されども、それによつて学問せざるは、たとへば噎によつて食せざるが如し。食は日用の物なり。むせたるは、食する人の過なり。
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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『初学訓』巻之三一人となりては、稚き時より、其父兄となる人は、其子弟に、書を読ませ、道を学ばしむべし。学問の道は他なし、只道を知りて、善悪を明らかにわかち、善を行ひ悪を去るにあり。故に、君子の学問は、仁心を保ち、つねに善を行ふを宗とす。善を行はざれば、博学にして経伝に明らかなるも、無用のことなり。大人は、善を行へば、其ほどこしひろし。然れども、極めて賤しき乞丐といへども、善を行ふに志あれば、其分に随ひて、其功多し。故に、学問する人は、只つねに善をするに志ありて、日々、善を行ふをつとめとすべし。
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『益軒家訓』聖学須勤凡人たるものは、聖人の教を貴び受け、強く志を立て、人の道を学び知り、勤め行ひて君子とならん事を思ひ、常に心にかけて怠るべからず。これ聖学に志すの道なり。其学問の法は、書を読み古を考へ、人に問ひ己におもひ、人の諫いましめを聴用ひ、常に我が身を顧て、我が愚なる事を知り、わが不善なる事を知り、わが過を改めて善にうつるべし。君子の過ちや日月の食の如し、過つや人皆之を見、更むるや人皆之を仰ぐ。また小人の過つや、かならず文る。過をはぢて蔽ひかくすは小人の心なり、甚卑し。古語に聖人に非ずんば誰か能く過ち無からん、過ちて能く改むる、善焉より大なるは莫しといへり。仮にも我を智ありとし、善也と思ふべからず。わが身のちからをたのみて、人を愚なりとし、侮るべからず。諫を拒ぎ、我を是とすべからず。
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