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五常訓 / 巻之四・礼

儉とは其心眞實にして、かざり僞無きを云ふ。是禮の本なり。如此儉にして眞實にかざり無ければ、本たちて、末おのづから生ず。又禮の内にて、取わき父母兄弟などの死せる時、喪に居るは、尤せつなる時にて、つゝしんで心を用ふべき事なり。喪に居るに、其死をいたみ哀むは、喪の禮の本なり。しかるに外の飾さかんにして、作法はそなはれども、心に哀の誠なきは、是本なきなり。かく有らんより、唯いたみ哀あつくして、外の法はおろそかならんこそ優るべけれ。凡禮は、先心の誠實なるを本とすれば、本なくして、末のみ修らんより、しかじ、本立ちて末おろそかなるには。是本末そなはらずして、偏なれども、外のかざりのみ多くして、内心に本とすべき誠なきには、遙かにまされり。

新字:倹とは其心真実にして、かざり偽無きを云ふ。是礼の本なり。如此倹にして真実にかざり無ければ、本たちて、末おのづから生ず。又礼の内にて、取わき父母兄弟などの死せる時、喪に居るは、尤せつなる時にて、つゝしんで心を用ふべき事なり。喪に居るに、其死をいたみ哀むは、喪の礼の本なり。しかるに外の飾さかんにして、作法はそなはれども、心に哀の誠なきは、是本なきなり。かく有らんより、唯いたみ哀あつくして、外の法はおろそかならんこそ優るべけれ。凡礼は、先心の誠実なるを本とすれば、本なくして、末のみ修らんより、しかじ、本立ちて末おろそかなるには。是本末そなはらずして、偏なれども、外のかざりのみ多くして、内心に本とすべき誠なきには、遥かにまされり。

書き下し

倹とは其心真実にして、かざり偽無きを云ふ。是礼の本なり。如此倹にして真実にかざり無ければ、本たちて、末おのづから生ず。又礼の内にて、取わき父母兄弟などの死せる時、喪に居るは、尤せつなる時にて、つつしんで心を用ふべき事なり。喪に居るに、其死をいたみ哀むは、喪の礼の本なり。しかるに外の飾さかんにして、作法はそなはれども、心に哀の誠なきは、是本なきなり。かく有らんより、唯いたみ哀あつくして、外の法はおろそかならんこそ優るべけれ。凡礼は、先心の誠実なるを本とすれば、本なくして、末のみ修らんより、しかじ、本立ちて末おろそかなるには。是本末そなはらずして、偏なれども、外のかざりのみ多くして、内心に本とすべき誠なきには、遥かにまされり。

現代語訳

倹とは、その心が真実で、飾りや偽りのないことをいいます。これが礼の本です。このように倹で真実に飾りがなければ、本が立って、末はおのずから生じます。また礼の中でも、とりわけ父母や兄弟などが死んだとき、喪に服するのは最も切実なときであって、慎んで心を用いるべきことです。喪に服するのに、その死を痛み哀しむのが、喪の礼の本です。それなのに、外の飾りが盛んで作法は備わっていても、心に哀しみの誠がないのは、本がないのです。そうであるよりは、ただ痛み哀しむ心が厚くて、外の法はおろそかであるほうが勝っているでしょう。およそ礼は、まず心の誠実であることを本とするので、本がなくて末ばかり整えるよりは、本が立って末がおろそかであるほうがよいのです。これは本末が備わらず偏ってはいても、外の飾りばかり多くて、内心に本とすべき誠がないのより、はるかにまさっています。

解説

林放の問いへの孔子の答えの後半「喪は其の易めんよりは寧ろ戚め」を解説しています。倹とは心が真実で飾りのないことであり、特に身内の喪では、形式が整っていることより心から死を悼むことが本だと説きます。本末がそろわないなら、飾りだけで誠がないより、誠があって形式が不十分な方がはるかによいという結論は明快です。葬儀やお別れの場で、儀式の立派さより故人を悼む心を大切にするという考えは、今の弔いの形を考えるうえでも示唆的です。

この章句が説くこと

礼喪誠倹本末

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