弁名 / 文質體用本末
文者。所以狀道而命之也。葢在天曰文。在地曰理。道之大原出於天。古先聖王法天以立道。故其爲狀也。禮樂粲然。是之謂文。論語曰。文王既沒。文不在茲乎。是直指道爲文也。中庸曰。文王之所以爲文也。是形容聖人之德。而言其能法天也。堯典曰。欽明文思。是道雖自古有之。禮樂未立。堯之思深遠。乃始作禮樂。故曰文思也。是堯舜以後所謂道。皆文也。
新字:文者。所以状道而命之也。葢在天曰文。在地曰理。道之大原出於天。古先聖王法天以立道。故其為状也。礼楽粲然。是之謂文。論語曰。文王既没。文不在茲乎。是直指道為文也。中庸曰。文王之所以為文也。是形容聖人之徳。而言其能法天也。堯典曰。欽明文思。是道雖自古有之。礼楽未立。堯之思深遠。乃始作礼楽。故曰文思也。是堯舜以後所謂道。皆文也。
書き下し
文とは、道を状して之に命くる所以なり。蓋し天に在りては文と曰ひ、地に在りては理と曰ふ。道の大原は天より出づ。古先聖王は天に法りて以て道を立つ。故に其の状たるや、礼楽粲然たり。是れ之を文と謂ふ。論語に曰く、「文王既に没す、文茲に在らずや」と。是れ直に道を指して文と為すなり。中庸に曰く、「文王の文たる所以なり」と。是れ聖人の徳を形容して、其の能く天に法るを言ふなり。堯典に曰く、「欽明文思」と。是れ道は古より之有りと雖も、礼楽未だ立たず。堯の思深遠にして、乃ち始めて礼楽を作る。故に文思と曰ふなり。是れ堯舜以後の所謂道は、皆文なり。
現代語訳
「文」とは、道のありさまを形容して名づけたものである。思うに、天にあっては文(あや)といい、地にあっては理(すじめ)という。道の大本は天から出る。古の聖王は天にのっとって道を立てた。だからそのありさまは、礼楽がきらびやかに整っている。これを文という。『論語』に「文王はすでに亡くなったが、文はここ(私)にあるではないか」とある。これはまさに道を指して文と言っている。『中庸』に「(これが)文王の文たるゆえんである」とある。これは聖人の徳を形容して、よく天にのっとったことを言うのである。『書経』堯典に「欽明文思(つつしみ深く、明らかで、文あり、思慮深い)」とある。これは、道は古くからあったが礼楽はまだ立っておらず、堯の思慮が深遠であったので初めて礼楽を作った、だから「文思」というのである。つまり堯・舜以後のいわゆる道は、みな文なのである。
解説
この章句が説くこと
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