弁名 / 文質體用本末
如夏尙忠。殷尙質。周尙文。世儒見以爲至周始文矣。殊不知是論說之言。就禮而論三代所以殊已。夏殷皆因堯舜之道。制作禮樂。故三代之道。均之文矣。而其所以爲文者。乃有三者之異。是其時風俗所尙自不同。然當其時。夏以夏禮爲文。殷以殷禮爲文。周以周禮爲文。自後人比竝三代之禮觀之。乃有是言也。豈容據是言而謂夏殷無文哉。先儒又據是言以爲文質如循環。夏殷損唐虞之文爲質者。皆益非矣。表記曰。虞夏之質。殷周之文。至矣。可見忠質文本非一定之論已。
新字:如夏尚忠。殷尚質。周尚文。世儒見以為至周始文矣。殊不知是論説之言。就礼而論三代所以殊已。夏殷皆因堯舜之道。制作礼楽。故三代之道。均之文矣。而其所以為文者。乃有三者之異。是其時風俗所尚自不同。然当其時。夏以夏礼為文。殷以殷礼為文。周以周礼為文。自後人比並三代之礼観之。乃有是言也。豈容拠是言而謂夏殷無文哉。先儒又拠是言以為文質如循環。夏殷損唐虞之文為質者。皆益非矣。表記曰。虞夏之質。殷周之文。至矣。可見忠質文本非一定之論已。
書き下し
夏は忠を尚び、殷は質を尚び、周は文を尚ぶ、と曰ふが如き、世儒は見て以為へらく周に至りて始めて文なり、と。殊に知らず、是れ論説の言にして、礼に就きて三代の殊なる所以を論ずるのみなるを。夏・殷は皆堯舜の道に因りて礼楽を制作す。故に三代の道は均しく之れ文なり。而して其の文たる所以の者は、乃ち三者の異有り。是れ其の時の風俗の尚ぶ所自ら同じからず。然れども其の時に当りては、夏は夏の礼を以て文と為し、殷は殷の礼を以て文と為し、周は周の礼を以て文と為す。後人より三代の礼を比並して之を観て、乃ち是の言有るなり。豈に是の言に拠りて夏殷に文無しと謂ふを容れんや。先儒又是の言に拠りて、以為へらく文質は循環するが如し、夏殷は唐虞の文を損して質と為す、と。皆益〻非なり。表記に曰く、「虞夏の質、殷周の文、至れり」と。忠質文の本と一定の論に非ざるを見るべきのみ。
現代語訳
「夏は忠を尊び、殷は質を尊び、周は文を尊んだ」という言葉について、世の儒者はこれを見て、周に至って初めて文が生まれたと考えている。だがこれは論評の言葉であり、礼について三代の違いを論じたにすぎないことを、まったく分かっていない。夏も殷も、堯・舜の道に基づいて礼楽を制作した。だから三代の道はひとしく文である。ただ、その文のあり方に三通りの違いがあった。それは当時の風俗が尊ぶものがおのずと違ったからである。しかしその当時においては、夏は夏の礼を文とし、殷は殷の礼を文とし、周は周の礼を文としていた。後の人が三代の礼を並べて比べて見たから、こういう言葉が生まれたのである。どうしてこの言葉を根拠に、夏や殷には文がなかったなどと言えようか。先の儒者はさらにこの言葉をもとに、文と質は循環するもので、夏・殷は唐虞(堯・舜)の文を減らして質にした、と考えた。どれもますます誤りである。『礼記』表記に「虞・夏の質、殷・周の文は、どちらも至れるものである」とある。忠・質・文がもともと一定の論ではないことがわかる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』道又た夏の道と曰ひ殷の道と曰ひ周の道と曰ふ者有り。蓋し道なる者は、堯舜の立つる所にして、万世之に因る。然れども又た時に随ひて変易する者有り。故に一代の聖人更定する所有りて、立てて以て道と為し、而して一代の君臣之に由りて以て行ふ。是れ必ずしも前代の道に未だ足らざる所有りて之を更改するに非ざるなり。亦た必ずしも前代の道已に至れりと為して、我故らに更改して天下の耳目を新たにせんと欲するに非ざるなり。亦た必ずしも万世之に因る者を道の至りと為して、時に随ひて更易する者を次と為すに非ざるなり。乃ち一代の聖人数百歳の後を前知する所有りて、此を以て世運を維持し、遽かに衰へに趨かざらしむる者存す。聖人の智に非ざるよりは、未だ其の更改する所以の意を与り知ること能はざる者なり。凡そ諸々の雑へて伝記に見ゆる者、某は善し、某は未だ善からずと、及び夏は忠、殷は質、周は文の類の如きは、皆孔子の礼楽を論ずるの緒言なり。亦た其の時を以て之を言ふ。其の時正に制作の秋に値ふが故なり。孔子其の道を優劣するに非ず。顔淵に四代の礼楽を告ぐるが如きも、亦た学者以て万世不易の制と為す者は、非なり。
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礼記・表記子曰く、夏道は未だ辞を瀆(けが)さず、備わるを求めず、大いに民に望まず、民未だ其の親しみを厭わず。殷人は未だ礼を瀆さずして、備わるを民に求む。周人は民に強い、未だ神を瀆さずして、賞爵刑罰窮まれり。子曰く、虞夏の道は、民に怨み寡し。殷周の道は、其の敝に勝(た)えず。
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『弁名』文質體用本末文とは、道を状して之に命くる所以なり。蓋し天に在りては文と曰ひ、地に在りては理と曰ふ。道の大原は天より出づ。古先聖王は天に法りて以て道を立つ。故に其の状たるや、礼楽粲然たり。是れ之を文と謂ふ。論語に曰く、「文王既に没す、文茲に在らずや」と。是れ直に道を指して文と為すなり。中庸に曰く、「文王の文たる所以なり」と。是れ聖人の徳を形容して、其の能く天に法るを言ふなり。堯典に曰く、「欽明文思」と。是れ道は古より之有りと雖も、礼楽未だ立たず。堯の思深遠にして、乃ち始めて礼楽を作る。故に文思と曰ふなり。是れ堯舜以後の所謂道は、皆文なり。
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礼記・表記子曰く、虞夏の質、殷周の文は、至れり。虞夏の文は其の質に勝たず、殷周の質は其の文に勝たず。 子これを言いて曰く、後世作者有りと雖も、虞帝は及ぶべからざるのみ。天下に君として、生きては私無く、死しては其の子に厚くせず。民を子とすること父母の如く、憯怛(さんだつ)の愛有り、忠利の教有り。親しみて尊く、安くして敬し、威ありて愛し、富みて礼有り、恵みて能く散ず。其の君子は仁を尊び義を畏れ、費を恥じて実を軽んじ、忠にして犯さず、義にして順い、文にして静かに、寛にして辨有り。《甫刑》に曰く、「徳威は惟れ威、徳明は惟れ明」と。虞帝に非ずんば其れ孰か能く此を為さんや。
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礼記・表記子曰く、夏道は命を尊び、鬼に事え神を敬してこれを遠ざけ、人に近づけて忠あり。禄を先にして威を後にし、賞を先にして罰を後にし、親しみて尊ばず。其の民の敝(へい)は、憃(おろか)にして愚、喬(おご)りて野、樸にして文ならず。殷人は神を尊び、民を率いて以て神に事え、鬼を先にして礼を後にし、罰を先にして賞を後にし、尊びて親しまず、其の民の敝は、蕩(とう)として静かならず、勝ちて恥無し。周人は礼を尊び施を尚び、鬼に事え神を敬してこれを遠ざけ、人に近づけて忠あり、其の賞罰は爵列を用い、親しみて尊ばず、其の民の敝は、利にして巧、文にして慙(は)じず、賊(そこな)いて蔽(おお)わる。
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説苑・修文恩を積みて愛と為し、愛を積みて仁と為し、仁を積みて靈と為す、靈臺の靈為る所以の者は、仁を積めばなり。神靈なる者は、天地の本にして、萬物の始めと為る者なり。是の故に文王は始めて民に接するに仁を以てし、天下仁ならざる莫し。文は、德の至りなり、德至らざれば則ち文なる能わず。商とは、常なり、常なる者は質、質は天を主どる。夏とは、大なり、大なる者は、文なり、文は地を主どる。故に王者は一商一夏、再びして復する者なり、正色は三にして復する者なり。味は甘きを尚び、聲は宮を尚ぶ、一にして復する者なり、故に三王の術は循環の如し。故に夏后氏は教うるに忠を以てして、君子は忠なり。小人の失は野なり、野を救うは敬に如くは莫し、故に殷人は教うるに敬を以てして、君子は敬なり。小人の失は鬼なり、鬼を救うは文に如くは莫し、故に周人は教うるに文を以てして、君子は文なり。小人の失は薄なり、薄を救うは忠に如くは莫し、故に聖人の聖に與するや、矩の三たび雜わり、規の三たび雜わるが如く、周れば則ち又始まり、窮まれば則ち本に反るなり。詩に曰く、「其の章を彫琢し、金玉として其の相たり」と。文質の美を言うなり。
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