弁名 / 學
王制曰。凡入學以齒。將出學。小胥大胥小樂正簡不帥敎者。以告于大樂正。大樂正以告于王。王命三公九卿大夫元士皆入學。不變。王親視學。不變。王三日不擧。屏之遠方。是古所謂入學。謂適學也。非若後世養生徒於學者也。朱子昧乎古禮。皆謬矣。
新字:王制曰。凡入学以歯。将出学。小胥大胥小楽正簡不帥教者。以告于大楽正。大楽正以告于王。王命三公九卿大夫元士皆入学。不変。王親視学。不変。王三日不挙。屏之遠方。是古所謂入学。謂適学也。非若後世養生徒於学者也。朱子昧乎古礼。皆謬矣。
書き下し
王制に曰く、「凡そ学に入るには歯を以てす。将に学を出でんとするとき、小胥・大胥・小楽正、教に帥はざる者を簡び、以て大楽正に告ぐ。大楽正以て王に告ぐ。王、三公・九卿・大夫・元士に命じて皆学に入らしむ。変ぜず。王親ら学を視る。変ぜず。王三日挙げず、之を遠方に屏く」と。是れ古の所謂学に入るとは、学に適くを謂ふなり。後世の生徒を学に養ふ者の若きに非ざるなり。朱子は古礼に昧し。皆謬れり。
現代語訳
『礼記』王制に言う。「およそ学校に入るときは年齢順にする。学校を出ようとするとき、小胥・大胥・小楽正(学校の役人)が教えに従わない者を選び出して大楽正に報告し、大楽正はそれを王に報告する。王は三公・九卿・大夫・元士に命じて皆で学校に入らせる(その者を感化させる)。それでも改まらなければ、王自ら学校を視察する。それでも改まらなければ、王は三日間ごちそうを取らず(心を痛め)、その者を遠方に追放する」と。つまり古くいう「学に入る」とは、学校に出向くことをいうのであって、後世のように生徒を学校に寄宿させて養うことではない。朱子は古礼に暗い。みな誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『弁名』學文王世子に曰く、「凡そ学は、世子及び学士必ず時あり。春夏は干戈を学び、秋冬は羽籥を学ぶ、皆東序に於てす。春は誦し夏は弦し、大師之を瞽宗に詔ぐ。秋は礼を学び、執礼者之を詔ぐ。冬は書を読み、典書者之を詔ぐ。礼は瞽宗に在り、書は上庠に在り」と。内則に曰く、「有虞氏は国老を上庠に養ひ、庶老を下庠に養ふ。夏后氏は国老を東序に養ひ、庶老を西序に養ふ。殷人は国老を右学に養ひ、庶老を左学に養ふ。周人は国老を東膠に養ひ、庶老を虞庠に養ふ。虞庠は国の西郊に在り」と。是れ庠・序・学校・瞽宗は、皆習ふ所の礼同じからず、故に其の宮室の制も亦た異なり。是れ其の名を殊にする所以なり。大学の庠・序・瞽宗の制を具ふること、亦た見るべきのみ。朱子の一概に岐ちて大小学と為すは、豈に謬りに非ずや。
-
『弁名』學大学・小学は学校の名なり。朱子以為へらく学問に大小の分有り、と。非なり。賈誼の言ふ所は、唯だ大事小事、大節小節を以て之を言ふ。内則に載する所、十歳より二十歳に至るまで、其の学ぶ所の次第見るべきのみ。六芸も亦た終身の業なり。而るに朱子は以て小学の事に属し、別に格物・致知・誠意・正心・脩身を以て大学の教ふる所と為す。豈に然らんや。大学の言ふ所、工夫は唯だ格物に在りて、致知以下は皆其の効験のみ。大学は郊に在り、小学は公宮の南の左に在り。而して郷を庠と曰ひ、術を序と曰ひ、家を塾と曰ふ。是れ小学と庠序校と殊なり。庠序校塾は郷術州里の人の游ぶ所と為して、小学は乃ち世子の礼を習ふ処なり。賈誼の言ふ所も亦た世子の礼なり。則ち朱子の説、豈に謬りに非ずや。
-
『弁名』學朱子の論語集註に曰く、「学の言たる効なり。後覚の者は必ず先覚の為す所に効ふ」と。仁斎先生曰く、「学は効なり覚なり。効法する所有りて覚悟するなり。学の字の訓は、此の二義を兼ねて、而る後に其の義尽くすを得。所謂効とは、猶ほ書を学ぶ者の、初め只だ法帖を臨摹して、其の筆意点画に効ふを得るがごときなり。而して所謂覚とは、猶ほ書を学ぶこと既に久しくして、而る後自ら古人の用筆の妙を覚悟するがごときなり」と。是の二先生は、皆聖人の道を学ぶことを務めずして、聖人を学ぶことを務むる者のみ。故に聖賢の言ふ所行ふ所に効法して以て聖賢の心を悟らんと欲す。諸を辟ふるに、大匠人に規矩を授くるに、其の人其の規矩に遵ひて以て之を学ばず、乃ち大匠の為す所に効法して以て其の斤を用ふるの妙を悟らんと欲するがごとし。則ち其の手を傷つけ鼻を創つけざる者幾ど希なり。豈に謬らずや。
-
『弁名』學学とは、先王の道を学ぶを謂ふなり。先王の道は詩書礼楽に在り。故に学の方も、亦た詩書礼楽を学ぶのみ。是れ之を四教と謂ひ、又之を四術と謂ふ。詩書は義の府なり。礼楽は徳の則なり。徳は己を立つる所以なり。義は政に従ふ所以なり。故に詩書礼楽は、以て士を造るに足る。然れども其の教の法は、詩には誦と曰ひ、書には読と曰ひ、礼楽には習と曰ふ。春秋は教ふるに礼楽を以てし、冬夏は教ふるに詩書を以てす。仮すに歳月を以てし、陰陽の宜しきに随ひて以て之を長養し、学者をして其の中に優柔厭飫せしめ、焉に蔵し、焉に脩め、焉に息ひ、焉に游ばしむ。自然に徳立ちて知明らかなり。要は習ひて之に熟し、久しくして之と化するに在るなり。是れ古の教法爲り。論語の所謂「博文約礼」とは是なり。
-
『弁名』禮蓋し先王は言語の以て人を教ふるに足らざるを知る。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。政刑の以て民を安んずるに足らざるを知る。故に礼楽を作りて以て之を化す。礼の体為るや、天地に蟠り、細微を極め、物ごとに之が則を為し、曲ごとに之が制を為して、道在らざる莫し。君子は之を学び、小人は之に由る。学ぶの方は、習ひて以て之に熟し、黙して之を識る。黙して之を識るに至れば、則ち知らざる所有ること莫し。豈に言語の能く及ぶ所ならんや。之に由れば則ち化す。化するに至れば、則ち識らず知らず、帝の則に順ふ。豈に不善有らんや。是れ豈に政刑の能く及ぶ所ならんや。
-
礼記・学記古の教うる者は、家に塾有り、党に庠(しょう)有り、術(すい)に序有り、国に学有り。比年(ひねん)に学に入り、中年に考校す。一年にして経を離(はな)ち志を弁ずるを視、三年にして業を敬し群を楽しむを視、五年にして博く習い師に親しむを視、七年にして学を論じ友を取るを視る、之を小成と謂う。九年にして類を知り通達し、強立して反(そむ)かず、之を大成と謂う。夫れ然る後に以て民を化し俗を易(か)うるに足り、近き者は説(よろこ)び服して、遠き者は之に懐(なつ)く。此れ大学の道なり。記に曰く、「蛾子(ぎし)時に之を術(まな)ぶ」と。其れ此れの謂いか。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る