弁名 / 學
文王世子曰。凡學。世子及學士必時。春夏學干戈。秋冬學羽籥。皆於東序。春誦夏弦。大師詔之瞽宗。秋學禮。執禮者詔之。冬讀書。典書者詔之。禮在瞽宗。書在上庠。內則曰。有虞氏養國老於上庠。養庶老於下庠。夏后氏養國老於東序。養庶老於西序。殷人養國老於右學。養庶老於左學。周人養國老於東膠。養庶老於虞庠。虞庠在國之西郊。是庠。序。學校。瞽宗。皆所習之禮不同。故其宮室之制亦異。是其所以殊名也。大學具庠序瞽宗之制。亦可見已。朱子一槩岐爲大小學者。豈非謬乎。
新字:文王世子曰。凡学。世子及学士必時。春夏学干戈。秋冬学羽籥。皆於東序。春誦夏弦。大師詔之瞽宗。秋学礼。執礼者詔之。冬読書。典書者詔之。礼在瞽宗。書在上庠。内則曰。有虞氏養国老於上庠。養庶老於下庠。夏后氏養国老於東序。養庶老於西序。殷人養国老於右学。養庶老於左学。周人養国老於東膠。養庶老於虞庠。虞庠在国之西郊。是庠。序。学校。瞽宗。皆所習之礼不同。故其宮室之制亦異。是其所以殊名也。大学具庠序瞽宗之制。亦可見已。朱子一槩岐為大小学者。豈非謬乎。
書き下し
文王世子に曰く、「凡そ学は、世子及び学士必ず時あり。春夏は干戈を学び、秋冬は羽籥を学ぶ、皆東序に於てす。春は誦し夏は弦し、大師之を瞽宗に詔ぐ。秋は礼を学び、執礼者之を詔ぐ。冬は書を読み、典書者之を詔ぐ。礼は瞽宗に在り、書は上庠に在り」と。内則に曰く、「有虞氏は国老を上庠に養ひ、庶老を下庠に養ふ。夏后氏は国老を東序に養ひ、庶老を西序に養ふ。殷人は国老を右学に養ひ、庶老を左学に養ふ。周人は国老を東膠に養ひ、庶老を虞庠に養ふ。虞庠は国の西郊に在り」と。是れ庠・序・学校・瞽宗は、皆習ふ所の礼同じからず、故に其の宮室の制も亦た異なり。是れ其の名を殊にする所以なり。大学の庠・序・瞽宗の制を具ふること、亦た見るべきのみ。朱子の一概に岐ちて大小学と為すは、豈に謬りに非ずや。
現代語訳
『礼記』文王世子に言う。「およそ学ぶには、世子も学士も必ず時節に従う。春と夏は干戈(武の舞)を学び、秋と冬は羽籥(文の舞)を学ぶ。いずれも東序で行う。春は詩を誦し、夏は琴を弾き、大師がこれを瞽宗で教える。秋は礼を学び、礼をつかさどる者が教える。冬は書を読み、書をつかさどる者が教える。礼は瞽宗で、書は上庠で学ぶ」と。『礼記』内則に言う。「有虞氏(舜)は国の老臣を上庠で養い、一般の老人を下庠で養った。夏后氏は国老を東序で、庶老を西序で養った。殷の人は国老を右学で、庶老を左学で養った。周の人は国老を東膠で、庶老を虞庠で養った。虞庠は都の西の郊外にある」と。つまり庠・序・学校・瞽宗はみな習う礼が異なり、そのため建物の造りも異なっていた。これが名前を異にする理由である。大学が庠・序・瞽宗の制度を備えていたことも、ここからわかる。朱子が一律に大学・小学の二つに分けたのは、誤りではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『慎思録』巻之六燕居独坐と雖も、箕踞すべからず。人無きの時と雖も、須らく人有るが如くすべし。跛倚側坐すべからず。飲食の約に赴くには、亦須らく期に先だちて速やかに至るべし。遅慢にして期に後れ、主人をして望望然たらしむるは宜しからず。神を拝するに合掌すべからず。合掌して三拝する者は、西域の人の仏を拝するの礼なり。中華の礼は再拝と為す。本朝の礼も亦再拝なり。中華の後世に四拝の礼有り。再拝を重ぬる所以なり。
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荀子・賦篇爰(ここ)に大物(たいぶつ)有り、絲(いと)に非ず帛(きぬ)に非ざるも、文理(ぶんり)章(あや)を成す。日に非ず月に非ざるも、天下の明(めい)と為る。生ける者は以て壽(いのちなが)く、死せる者は以て葬らる。城郭は以て固く、三軍は以て強し。粹(すい)なれば王たり、駁(はく)なれば伯(は)たり、一(いつ)も焉(これ)無ければ亡(ほろ)ぶ。臣愚にして識(し)らず、敢えて之を王に請(と)う。王曰く、此れ夫(か)の文(かざり)ありて采(あや)ならざる者か。簡然(かんぜん)として知り易(やす)くして、致(きわ)めて理(り)有る者か。君子の敬する所にして、小人の不(せざ)る所の者か。性(せい)之を得ざれば則ち禽獸(きんじゅう)の若(ごと)く、性之を得れば則ち甚だ雅(が)に似たる者か。匹夫(ひっぷ)之を隆(たっと)べば則ち聖人と為り、諸侯之を隆べば則ち四海を一にする者か。致(きわ)めて明らかにして約(やく)、甚だ順(じゅん)にして體(たい)あり、請(こ)う之を禮に歸せん。禮なり。
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『呻吟語』内篇・談道・禮は情より生ず瓜・李將に熟せんとすれば、浮白生ず。禮は情より生ずるに、後世乃ち禮を以て情と為す。哀しいかな。
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