弁名 / 學
大學。小學。學校之名也。朱子以爲學問有大小之分者。非也。賈誼所言。唯以大事小事大節小節言之。內則所載。十歲至二十歲。其所學次第可以見已。六藝亦終身之業。而朱子以屬小學之事。而別以格物致知誠意正心脩身爲大學所敎。豈然乎。大學所言。工夫唯在格物。而致知以下。皆其效驗已。大學在郊。小學在公宮南之左。而鄕曰庠。術曰序。家曰塾。是小學與庠序校殊焉。庠序校塾爲鄕術州里人所游。而小學乃世子所習禮處。賈誼所言。亦世子之禮。則朱子之說。豈非謬乎。
新字:大学。小学。学校之名也。朱子以為学問有大小之分者。非也。賈誼所言。唯以大事小事大節小節言之。内則所載。十歳至二十歳。其所学次第可以見已。六芸亦終身之業。而朱子以属小学之事。而別以格物致知誠意正心脩身為大学所教。豈然乎。大学所言。工夫唯在格物。而致知以下。皆其効験已。大学在郊。小学在公宮南之左。而郷曰庠。術曰序。家曰塾。是小学与庠序校殊焉。庠序校塾為郷術州里人所游。而小学乃世子所習礼処。賈誼所言。亦世子之礼。則朱子之説。豈非謬乎。
書き下し
大学・小学は学校の名なり。朱子以為へらく学問に大小の分有り、と。非なり。賈誼の言ふ所は、唯だ大事小事、大節小節を以て之を言ふ。内則に載する所、十歳より二十歳に至るまで、其の学ぶ所の次第見るべきのみ。六芸も亦た終身の業なり。而るに朱子は以て小学の事に属し、別に格物・致知・誠意・正心・脩身を以て大学の教ふる所と為す。豈に然らんや。大学の言ふ所、工夫は唯だ格物に在りて、致知以下は皆其の効験のみ。大学は郊に在り、小学は公宮の南の左に在り。而して郷を庠と曰ひ、術を序と曰ひ、家を塾と曰ふ。是れ小学と庠序校と殊なり。庠序校塾は郷術州里の人の游ぶ所と為して、小学は乃ち世子の礼を習ふ処なり。賈誼の言ふ所も亦た世子の礼なり。則ち朱子の説、豈に謬りに非ずや。
現代語訳
大学・小学とは学校の名前である。朱子は学問に大小の区別があると考えたが、誤りである。賈誼が言っているのは、ただ大きな事・小さな事、大きな節目・小さな節目についてである。『礼記』内則に載っている十歳から二十歳までの学びを見れば、学ぶ順序がわかる。六芸(礼・楽・射・御・書・数)もまた生涯の業である。それなのに朱子は六芸を小学のことに属させ、別に格物・致知・誠意・正心・修身を大学で教えることとした。どうしてそうであろうか。『大学』が言うところでは、工夫はただ格物にあり、致知以下はみなその効果である。大学は郊外にあり、小学は諸侯の宮殿の南の左にあった。そして郷の学校を庠、術(遂)の学校を序、家の学校を塾という。つまり小学は庠・序・校とは別のものである。庠・序・校・塾は郷や州里の人々が学ぶところで、小学は世子(世継ぎ)が礼を習うところであった。賈誼が言っているのも世子の礼である。そうであれば朱子の説は誤りではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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