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弁道 / 第一則

不佞藉天寵靈。得王李二家書以讀之。始識有古文辭。於是稍稍取六經而讀之。歷年之久。稍稍得物與名合矣。物與名合。而後訓詁始明。六經可得而言焉。六經其物也。禮記論語其義也。義必屬諸物。而後道定焉。乃舍其物。獨取其義。其不泛濫自肆者幾希。是韓柳程朱以後之失也。予五十之年既過焉。此焉不自力。宛其死矣。則天命其謂何。故暇日輙有所論著。以答天之寵靈。且錄其綱要者數十。以示入門之士者乎爾。

新字:不佞藉天寵霊。得王李二家書以読之。始識有古文辞。於是稍稍取六経而読之。歴年之久。稍稍得物与名合矣。物与名合。而後訓詁始明。六経可得而言焉。六経其物也。礼記論語其義也。義必属諸物。而後道定焉。乃舎其物。独取其義。其不泛濫自肆者幾希。是韓柳程朱以後之失也。予五十之年既過焉。此焉不自力。宛其死矣。則天命其謂何。故暇日輙有所論著。以答天之寵霊。且録其綱要者数十。以示入門之士者乎爾。

書き下し

不佞、天の寵霊に藉りて、王李二家の書を得て以て之を読み、始めて古文辞有るを識る。是に於て稍稍六経を取りて之を読む。年を歴ること之れ久しく、稍稍物と名と合ふことを得たり。物と名と合ひて、而る後に訓詁始めて明らかに、六経得て言ふべし。六経は其の物なり。礼記・論語は其の義なり。義は必ず諸を物に属して、而る後に道定まる。乃ち其の物を舎てて独り其の義を取れば、其の泛濫自肆せざる者幾ど希なり。是れ韓柳程朱以後の失なり。予五十の年既に過ぎたり。此に自ら力めずんば、宛として其れ死せん。則ち天命其れ何をか謂はん。故に暇日輒ち論著する所有りて、以て天の寵霊に答ふ。且つ其の綱要なる者数十を録して、以て入門の士に示すのみ。

現代語訳

私は天の恵みによって王世貞・李攀竜の二家の書を手に入れて読み、初めて古文辞というものがあることを知った。そこで少しずつ六経を手に取って読み、長い年月を経て、ようやく物と名が一致するようになった。物と名が一致してはじめて字義の解釈が明らかになり、六経について語れるようになる。六経はその「物」であり、『礼記』『論語』はその「義」(意味づけ)である。義は必ず物に結びつけられてはじめて道が定まる。物を捨てて義だけを取れば、勝手気ままな解釈に流れずにすむ者はほとんどいない。これが韓愈・柳宗元・程朱以後の過ちである。私は五十の年をすでに過ぎた。いま自ら努めなければ、たちまち死んでしまうだろう。そうなれば天命とは何だったことになろうか。だから暇な日には論じ著すところがあり、天の恵みに応えようとしている。そのうえ要点となるものを数十条書き留め、これから学びに入る人に示すのである。

解説

第一則の結びで徂徠は自らの方法を明かす。明の王世貞・李攀竜の古文辞に出会い、古代の言葉そのものに習熟して六経を読むと、物と名が一致し、訓詁が明らかになったという。六経が「物」、『礼記』『論語』は「義」であり、義は物に結びついてはじめて確かになる。この書が入門者に示す綱要数十条として書かれたことも、ここで述べられる。抽象的な理念だけを語らず、具体的な事例や制度に結びつけて考えよという教えは、方針を現場に落とす仕事にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

古文辞六経名と物訓詁学問天命

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