弁名 / 學
至於仁齋先生。乃公然抗言而曰。三代之時。敎法未立。學問未闢。直至孔子。始斬新開闢。猶日月之麗于天。而萬古不墜。故三代以前之書。當以三代以前之說求之。孔孟之書。當以孔孟之旨解之。果其說之是乎。孔子所苦心訪求者。乃爲無用之長物。而門人孟子之功。反大於孔子。豈不妄說之甚夫。故不本諸先王敎法。而別立學問之方者。皆非孔子之旨。學者其思諸。
新字:至於仁斎先生。乃公然抗言而曰。三代之時。教法未立。学問未闢。直至孔子。始斬新開闢。猶日月之麗于天。而万古不墜。故三代以前之書。当以三代以前之説求之。孔孟之書。当以孔孟之旨解之。果其説之是乎。孔子所苦心訪求者。乃為無用之長物。而門人孟子之功。反大於孔子。豈不妄説之甚夫。故不本諸先王教法。而別立学問之方者。皆非孔子之旨。学者其思諸。
書き下し
仁斎先生に至りては、乃ち公然と抗言して曰く、「三代の時、教法未だ立たず、学問未だ闢けず。直に孔子に至りて、始めて斬新に開闢す。猶ほ日月の天に麗きて万古墜ちざるがごとし。故に三代以前の書は、当に三代以前の説を以て之を求むべし。孔孟の書は、当に孔孟の旨を以て之を解すべし」と。果して其の説の是ならんか、孔子の苦心して訪求する所の者は、乃ち無用の長物と為りて、門人・孟子の功、反って孔子より大ならん。豈に妄説の甚だしきに非ずや。故に諸を先王の教法に本づかずして、別に学問の方を立つる者は、皆孔子の旨に非ず。学者其れ諸を思へ。
現代語訳
仁斎先生に至っては、公然と言い放って言う。「夏・殷・周の三代には、教え方はまだ確立せず、学問もまだ開かれていなかった。孔子に至って初めて新しく切り開かれた。それはまるで日月が天にかかって万古にわたり落ちないようなものである。だから三代以前の書は三代以前の説で読み、孔子・孟子の書は孔孟の趣旨で解すべきである」と。もしこの説が正しいなら、孔子が苦心して訪ね求めたもの(先王の道)は無用の長物となり、門人や孟子の功績のほうがかえって孔子より大きいことになる。なんとひどい妄説ではないか。だから先王の教え方に基づかず、別に学問の方法を立てる者は、みな孔子の趣旨ではない。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
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