弁名 / 學
雖然。先王之道所以安民也。故學先王之道。而不知其所以然。則學不可得而成矣。故孔門之敎。必依於仁。苟其心常依先王安民之德。造次於是。顚沛於是。終食之間。不敢與之離。則德之成也速。而可以達先王之心也。雖然。先王安民之德大矣。故孔門之敎。又必依中庸。所謂孝弟忠信是也。辟如登高必自卑。行遠必自邇。由此以進。庶乎足以馴致高明廣大之域。其說具於論語中庸。學者所當竭力也。
新字:雖然。先王之道所以安民也。故学先王之道。而不知其所以然。則学不可得而成矣。故孔門之教。必依於仁。苟其心常依先王安民之徳。造次於是。顛沛於是。終食之間。不敢与之離。則徳之成也速。而可以達先王之心也。雖然。先王安民之徳大矣。故孔門之教。又必依中庸。所謂孝弟忠信是也。辟如登高必自卑。行遠必自邇。由此以進。庶乎足以馴致高明広大之域。其説具於論語中庸。学者所当竭力也。
書き下し
然りと雖も、先王の道は民を安んずる所以なり。故に先王の道を学びて、其の然る所以を知らざれば、則ち学成るを得べからず。故に孔門の教は必ず仁に依る。苟くも其の心常に先王の民を安んずるの徳に依り、造次にも是に於てし、顚沛にも是に於てし、終食の間も敢へて之と離れずんば、則ち徳の成るや速かにして、以て先王の心に達すべきなり。然りと雖も、先王の民を安んずるの徳は大なり。故に孔門の教は又必ず中庸に依る。所謂孝弟忠信是なり。辟へば高きに登るに必ず卑きよりし、遠きに行くに必ず邇きよりするが如し。此に由りて以て進めば、庶はくは以て高明広大の域に馴致するに足らん。其の説は論語・中庸に具はる。学者の当に力を竭すべき所なり。
現代語訳
とはいえ、先王の道は民を安らかにするためのものである。だから先王の道を学んでも、そうである理由(民を安んずるという目的)を知らなければ、学問は完成しない。それで孔子の門下の教えは必ず仁に依る。もし心が常に先王の民を安んずる徳に寄り添い、とっさの時もそこにあり、つまずき倒れる時もそこにあり、食事を終えるほどの間も決して離れないなら、徳はすみやかに成り、先王の心にまで達することができる。とはいえ、先王の民を安んずる徳はあまりに大きい。だから孔子の門下の教えはさらに必ず中庸(日常の平凡な徳)に依る。いわゆる孝弟忠信(親孝行・年長者への敬い・誠実・信義)がそれである。たとえば高い所に登るには必ず低い所から、遠くへ行くには必ず近い所から始めるようなものである。ここから進んでいけば、やがて高く明るく広大な境地へ自然に至ることができるだろう。その説は『論語』と『中庸』に備わっている。学ぶ者が力を尽くすべきところである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上一人の禽獣にことなるは、仁あるを以てなり。五常五倫百行万善、皆仁よりいづ。故に仁の理至て尊く、至て大なり。我がともがら凡愚の知りがたき事なれば、たやすく言はんこと、いとかたはらいたくこそ聞ゆべけれ。されど学びがてらに古人の説をあつめ、不幸にして書を読まざる人のために、いささか試に其大義の万一をいはん。ただ誤おほからん事をおそるるのみ。中庸に曰く、仁は人なり、親を親しむを大なりと為す。孟子も亦曰く、仁なる者は人なり。又曰く、仁は人の心なりと。言ふ意は、天地の恵大にして、よく万物を生じ給ふ。其理を生理と云ふ。生理とて、天理の生々て、よく物を生ずるを云ふ。此生理を人の身に生れつきたる故に、人の身に、恵の心智中にみちみちて、よく物をあはれむ。
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『五常訓』巻之二・仁之上仁の性にしたがへば、五倫を愛する道自ら行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。仁は性なり。五倫を愛するは道なり。天地より生れつきたる仁の性にしたがひて、五倫の道を行ふが、天地につかへ奉る孝にて、人の道なり。是即仁なり。人の道とする所、さらに此外に有るべからず。次に禽獣草木を愛するも、亦仁の内の事なり。天地は万物の父母なれば、人倫を愛し、次に万物を愛するも、亦天地につかふる道なり。
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『弁名』恕恕の解は論語に見ゆ。「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」と曰ふ、是れなり。此の八字、一たびは仲弓に答ふるに見ゆ、是れ正文なり。再び子貢に答ふるに見ゆ、是れ註の正文に入るなり。上文に「其れ恕か」と曰ふ。論語を伝ふる者、乃ち此の八字を以て恕の字を解するのみ。故に中庸に「忠恕は道を違ること遠からず。諸を己に施して願はざれば、亦た人に施すこと勿かれ」と曰ふ、是れなり。祇だ恕は文に於いて、心の如くするを恕と為す。故に己の欲する所、以て人に施すも、亦た恕なり。然れども其の事広大にして、学者の能くする所に非ず。且つ人心同じからず、欲する所或いは殊なる。故に止だ己の欲せざる所を以て之を言ふのみ。孔子曰く、「能く近く譬へを取る。仁の方と謂ふべきのみ」と。近く諸を己が心に譬ふ、是れ恕なり。仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。是れ乃ち未だ之を立て之を達すること能はざれば、則ち僅かに其の欲せざる所を施さざるのみ。故に仁の方と曰ふなり。
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『弁名』孝悌孝弟忠信は、孔門蓋し之を中庸と謂ふ。其の甚だしくは高からず、人皆行ふべきの事為るを以てなり。故に先王の道を学ぶは、必ず孝弟より始む。諸を辟ふれば、高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりするがごとし。孟子曰く、「堯舜の道は孝弟のみ」と。是れ之の謂なり。其の以て仁賢の徳に馴致すべきを謂ふなり。然りと雖も、後儒論説を喜ぶこと甚しく、遂に仁孝を以て之を一にす。非なり。孝は自ら孝、仁は自ら仁。君子は一を挙げて以て百を廃するを悪む。仮使一孝にして足らば、則ち江革・王祥既に聖人為らん。故に孔子曰く、「行ひて余力有れば、則ち以て文を学べ」と。孝弟有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふなり。是れ又学者の当に知るべき所なり。然りと雖も、周官の師氏、既に至徳・敏徳を立てて、以て一切を尽くすに足れども、更に孝徳を立てて以て之を教ふ。見るべし、它の不善有りと雖も、苟も孝徳有らば、則ち先王の取る所なるを。先王の孝を重んずること是の若きかな。
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『徂徠先生答問書』卷中君子の道も是を土台といたし候事は、君子の道は仁にて候。仁は国天下の民を安じ候事にて、もと人の上たるものの道にて候。孝弟忠信中庸の徳行は、分に相応にたれにてもなり申候事にて、上たる人ばかりの道にては無御座候。孝は父母を養ひ安んずる道にて候。弟は兄弟を養ひ安んずる道にて候。忠は君につかへて君を安んじ養ふ道にて候。信は朋友を安んじ養ふ道にて候。されば何れも皆仁の小わりと可被思召候。たゞ人々の量の大小御座候故、大量の人ならでは仁をわが任といたし候事なりがたく候。量の大小にかゝはらず、たれにても仁の心をおこなひ候事は、孝弟忠信中庸の徳行と可被思召候。是により孝弟忠信を土台といたし、是よりのぼり候へば、君子の仁もよく相応いたし、齟齬いたし候所無御座候。若又孝弟忠信を土台といたさず候て、国天下を安んずるわざをのみ求め候はゞ、却て邪術にはせ候あやまりも出来可申事故、子思などの書を作り其ふせぎをいたされ候事にて御座候。たゞ量の大小に随ひ教の名目は別にて候得共、道は一箇の道にて更に別の道は無御座候。よく〳〵御工夫可被成候。以上。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一凡君子の学問は、知仁勇の三徳を本とし、五倫をあつくするを道とす。知仁勇は五倫の道を行ふ心の徳なり。知は五倫の道をしり、仁は五倫の道を身にたもち行ひ、勇はつとめて知り、つとめて行ふ。知るも行ふも、勇を以てつとむ。君子の学問をするに、其心法とするは三徳なり。行ふべき道とするは五倫なり。三徳と五常とは理同じ。五常はむまれつきたる性なり。三徳は学問をする心法なり。五常をつづめていへり。
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