五常訓 / 巻之二・仁之上
一人の禽獸にことなるは、仁あるを以てなり。五常五倫百行萬善、皆仁よりいづ。故に仁の理至て尊く、至て大なり。我がともがら凡愚の知りがたき事なれば、たやすく言はんこと、いとかたはらいたくこそ聞ゆべけれ。されど學びがてらに古人の說をあつめ、不幸にして書を讀まざる人のために、いさゝか試に其大義の萬一をいはん。たゞ誤おほからん事をおそるゝのみ。中庸に曰、仁者人也、親親爲大。孟子も亦曰、仁也者人也。又曰、仁人心也と。言ふ意は、天地の惠大にして、よく萬物を生じ給ふ。其理を生理と云ふ。生理とて、天理の生々て、よく物を生ずるを云ふ。此生理を人の身に生れつきたる故に、人の身に、惠の心智中にみちみちて、よく物をあはれむ。
新字:一人の禽獣にことなるは、仁あるを以てなり。五常五倫百行万善、皆仁よりいづ。故に仁の理至て尊く、至て大なり。我がともがら凡愚の知りがたき事なれば、たやすく言はんこと、いとかたはらいたくこそ聞ゆべけれ。されど学びがてらに古人の説をあつめ、不幸にして書を読まざる人のために、いさゝか試に其大義の万一をいはん。たゞ誤おほからん事をおそるゝのみ。中庸に曰、仁者人也、親親為大。孟子も亦曰、仁也者人也。又曰、仁人心也と。言ふ意は、天地の恵大にして、よく万物を生じ給ふ。其理を生理と云ふ。生理とて、天理の生々て、よく物を生ずるを云ふ。此生理を人の身に生れつきたる故に、人の身に、恵の心智中にみちみちて、よく物をあはれむ。
書き下し
一人の禽獣にことなるは、仁あるを以てなり。五常五倫百行万善、皆仁よりいづ。故に仁の理至て尊く、至て大なり。我がともがら凡愚の知りがたき事なれば、たやすく言はんこと、いとかたはらいたくこそ聞ゆべけれ。されど学びがてらに古人の説をあつめ、不幸にして書を読まざる人のために、いささか試に其大義の万一をいはん。ただ誤おほからん事をおそるるのみ。中庸に曰く、仁は人なり、親を親しむを大なりと為す。孟子も亦曰く、仁なる者は人なり。又曰く、仁は人の心なりと。言ふ意は、天地の恵大にして、よく万物を生じ給ふ。其理を生理と云ふ。生理とて、天理の生々て、よく物を生ずるを云ふ。此生理を人の身に生れつきたる故に、人の身に、恵の心智中にみちみちて、よく物をあはれむ。
現代語訳
人が禽獣と異なるのは、仁があるからです。五常・五倫・あらゆる行い・あらゆる善は、みな仁から出ます。ゆえに仁の理はきわめて尊く、きわめて大きいものです。私たち凡庸で愚かな者には知りがたいことなので、軽々しく言うことは、まことにおこがましく聞こえるでしょう。けれども学びながら古人の説を集めて、不幸にして書を読まない人のために、少し試みにその大意のほんの一端を言ってみましょう。ただ誤りが多いことを恐れるばかりです。『中庸』に「仁とは人である。親を親しむことを大事とする」とあります。孟子もまた「仁とは人である」といい、また「仁は人の心である」といいました。その意味は、天地の恵みは大きく、よく万物を生じられます。その理を生理といいます。生理とは、天の理が生き生きとして、よく物を生ずることをいいます。この生理を人の身に生まれつき持っているので、人の身には恵みの心が内に満ち満ちていて、よく物をあわれむのです。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之二・仁之上仁の性にしたがへば、五倫を愛する道自ら行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。仁は性なり。五倫を愛するは道なり。天地より生れつきたる仁の性にしたがひて、五倫の道を行ふが、天地につかへ奉る孝にて、人の道なり。是即仁なり。人の道とする所、さらに此外に有るべからず。次に禽獣草木を愛するも、亦仁の内の事なり。天地は万物の父母なれば、人倫を愛し、次に万物を愛するも、亦天地につかふる道なり。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一凡君子の学問は、知仁勇の三徳を本とし、五倫をあつくするを道とす。知仁勇は五倫の道を行ふ心の徳なり。知は五倫の道をしり、仁は五倫の道を身にたもち行ひ、勇はつとめて知り、つとめて行ふ。知るも行ふも、勇を以てつとむ。君子の学問をするに、其心法とするは三徳なり。行ふべき道とするは五倫なり。三徳と五常とは理同じ。五常はむまれつきたる性なり。三徳は学問をする心法なり。五常をつづめていへり。
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『童子問』卷中学問の要を問ふ。曰く、学問の要は、唯だ己に反求するに在り。中庸に曰く、射は君子に似たる有り。諸を正鵠に失へば、反りて諸を其の身に求むと。孟子曰く、仁者は射の如し。射る者は己を正しくして而る後に発す。発して中らざれば、己に勝つ者を怨まず、反りて諸を己に求むるのみと。所謂終身之を用ひて、尽くすこと能はざる者有るなり。又曰く、人を愛して親しまれずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を礼して答へられずんば、其の敬に反れ。行うて得ざる者有らば、皆反りて諸を己に求む。其の身正しくして、天下之に帰すと。故に曰く、学問の要は、唯だ反りて諸を己に求むるに在るのみと。聖人の天を怨まず人を尤めざるの境も、亦此より馴致す。実に学者の本務なり。大なるかな。
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『五常訓』巻之四・礼天理は自然に定りて、かくの如くなるべき道理なり。節文は、過不及なきよき程なるを云ふ。節は過ぎざるなり。文は不及なきなり。うやまひ過すは節にあらず。うやまひ足らざるは文にあらず。かざり過ぐるは節にあらず。賤しくしてふつつかなるは文にあらず。是皆理にたがひて礼にあらず。万事の節文、皆かくの如し。人事の儀則とは、人の行ふわざの、行儀にあらはれたる作法なり。視聴言動の四の身のわざも、万事の制行も、よきほどなる自然の法あり。是人事の儀則なり。中庸には、親を親しむの殺、賢を尊ぶの等は、礼の生ずる所なりといへり。云ふ意は、親類をしたしむは仁なり。其内に、父子、兄弟、諸父、従兄弟などの品あり。其親疎尊卑の次第同じからざる、是親を親しむの殺なり。
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『童子問』卷下問ふ、屈原。曰く、道を知らず。漁父の辞に曰く、世人皆濁り、我独り清めり。衆人皆酔ひ、我独り醒めたりと。是れ屈子の自ら其の禍を取る所以にして、子蘭の讒、懐王の不明の能く為す所に非ざるなり。禹曰く、愚夫愚婦も、一能く予に勝ると。孔子曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なりと。豈に天下を以て皆濁り皆酔へりと為すべけんや。中庸に曰く、上に居りて驕らず、下と為りて倍かず。国道有れば、其の言以て興すに足り、国道無ければ、其の黙以て容るるに足ると。此れ学問の成る所、道徳の熟する所にして、屈子の能く及ぶ所に非ず。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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