弁名 / 學
是孔門之敎。非故求勝於先王之敎。葢世衰賢者不用。退而獨善其身者。不爲鮮矣。則或忘斯道爲先王安民之道者。勢之所至也。故孔門之敎。以依於仁爲成德之要焉。世衰民不興行。中庸之德乃鮮矣。基之不立。何以能學。故孔門之敎。又以孝悌忠信爲進德之本焉。是以離千萬世之後。學聖人之道者。必以詩書禮樂爲本業。以依仁與中庸求成其德。則亦爲不畔於先王孔子之敎已。
新字:是孔門之教。非故求勝於先王之教。葢世衰賢者不用。退而独善其身者。不為鮮矣。則或忘斯道為先王安民之道者。勢之所至也。故孔門之教。以依於仁為成徳之要焉。世衰民不興行。中庸之徳乃鮮矣。基之不立。何以能学。故孔門之教。又以孝悌忠信為進徳之本焉。是以離千万世之後。学聖人之道者。必以詩書礼楽為本業。以依仁与中庸求成其徳。則亦為不畔於先王孔子之教已。
書き下し
是れ孔門の教、故らに先王の教に勝つことを求むるに非ず。蓋し世衰へて賢者用ひられず、退きて独り其の身を善くする者、鮮しと為さず。則ち或は斯の道の先王の民を安んずるの道たるを忘るる者は、勢の至る所なり。故に孔門の教は、仁に依るを以て徳を成すの要と為す。世衰へて民行を興さず、中庸の徳乃ち鮮し。基の立たずんば、何を以てか能く学ばん。故に孔門の教は、又孝悌忠信を以て徳に進むの本と為す。是を以て千万世の後に離ると雖も、聖人の道を学ぶ者は、必ず詩書礼楽を以て本業と為し、仁と中庸とに依るを以て其の徳を成すを求めば、則ち亦た先王孔子の教に畔かずと為すのみ。
現代語訳
これは孔子の門下の教えが、わざと先王の教えに勝とうとしたのではない。思うに、世が衰えて賢者が用いられず、退いて自分の身だけを善くしようとする者が少なくなかった。そうなると、この道が先王の民を安んずる道であることを忘れる者が出るのは、なりゆきとして当然である。だから孔子の門下の教えは、仁に依ることを徳を成す要とした。また世が衰えて民は善い行いを興さず、中庸の徳がまれになった。土台が立たなければ、どうして学ぶことができよう。だから孔子の門下の教えは、さらに孝悌忠信を徳に進む根本とした。こういうわけで、千年万年の後に隔たっていても、聖人の道を学ぶ者は、必ず詩書礼楽を本業とし、仁と中庸に依ってその徳を成すことを求めれば、先王と孔子の教えに背かないことになるのである。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』學然りと雖も、先王の道は民を安んずる所以なり。故に先王の道を学びて、其の然る所以を知らざれば、則ち学成るを得べからず。故に孔門の教は必ず仁に依る。苟くも其の心常に先王の民を安んずるの徳に依り、造次にも是に於てし、顚沛にも是に於てし、終食の間も敢へて之と離れずんば、則ち徳の成るや速かにして、以て先王の心に達すべきなり。然りと雖も、先王の民を安んずるの徳は大なり。故に孔門の教は又必ず中庸に依る。所謂孝弟忠信是なり。辟へば高きに登るに必ず卑きよりし、遠きに行くに必ず邇きよりするが如し。此に由りて以て進めば、庶はくは以て高明広大の域に馴致するに足らん。其の説は論語・中庸に具はる。学者の当に力を竭すべき所なり。
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『五常訓』巻之二・仁之上一人の禽獣にことなるは、仁あるを以てなり。五常五倫百行万善、皆仁よりいづ。故に仁の理至て尊く、至て大なり。我がともがら凡愚の知りがたき事なれば、たやすく言はんこと、いとかたはらいたくこそ聞ゆべけれ。されど学びがてらに古人の説をあつめ、不幸にして書を読まざる人のために、いささか試に其大義の万一をいはん。ただ誤おほからん事をおそるるのみ。中庸に曰く、仁は人なり、親を親しむを大なりと為す。孟子も亦曰く、仁なる者は人なり。又曰く、仁は人の心なりと。言ふ意は、天地の恵大にして、よく万物を生じ給ふ。其理を生理と云ふ。生理とて、天理の生々て、よく物を生ずるを云ふ。此生理を人の身に生れつきたる故に、人の身に、恵の心智中にみちみちて、よく物をあはれむ。
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『五常訓』巻之二・仁之上仁の性にしたがへば、五倫を愛する道自ら行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。仁は性なり。五倫を愛するは道なり。天地より生れつきたる仁の性にしたがひて、五倫の道を行ふが、天地につかへ奉る孝にて、人の道なり。是即仁なり。人の道とする所、さらに此外に有るべからず。次に禽獣草木を愛するも、亦仁の内の事なり。天地は万物の父母なれば、人倫を愛し、次に万物を愛するも、亦天地につかふる道なり。
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『弁名』孝悌孝弟忠信は、孔門蓋し之を中庸と謂ふ。其の甚だしくは高からず、人皆行ふべきの事為るを以てなり。故に先王の道を学ぶは、必ず孝弟より始む。諸を辟ふれば、高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりするがごとし。孟子曰く、「堯舜の道は孝弟のみ」と。是れ之の謂なり。其の以て仁賢の徳に馴致すべきを謂ふなり。然りと雖も、後儒論説を喜ぶこと甚しく、遂に仁孝を以て之を一にす。非なり。孝は自ら孝、仁は自ら仁。君子は一を挙げて以て百を廃するを悪む。仮使一孝にして足らば、則ち江革・王祥既に聖人為らん。故に孔子曰く、「行ひて余力有れば、則ち以て文を学べ」と。孝弟有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふなり。是れ又学者の当に知るべき所なり。然りと雖も、周官の師氏、既に至徳・敏徳を立てて、以て一切を尽くすに足れども、更に孝徳を立てて以て之を教ふ。見るべし、它の不善有りと雖も、苟も孝徳有らば、則ち先王の取る所なるを。先王の孝を重んずること是の若きかな。
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『弁名』恕恕の解は論語に見ゆ。「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」と曰ふ、是れなり。此の八字、一たびは仲弓に答ふるに見ゆ、是れ正文なり。再び子貢に答ふるに見ゆ、是れ註の正文に入るなり。上文に「其れ恕か」と曰ふ。論語を伝ふる者、乃ち此の八字を以て恕の字を解するのみ。故に中庸に「忠恕は道を違ること遠からず。諸を己に施して願はざれば、亦た人に施すこと勿かれ」と曰ふ、是れなり。祇だ恕は文に於いて、心の如くするを恕と為す。故に己の欲する所、以て人に施すも、亦た恕なり。然れども其の事広大にして、学者の能くする所に非ず。且つ人心同じからず、欲する所或いは殊なる。故に止だ己の欲せざる所を以て之を言ふのみ。孔子曰く、「能く近く譬へを取る。仁の方と謂ふべきのみ」と。近く諸を己が心に譬ふ、是れ恕なり。仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。是れ乃ち未だ之を立て之を達すること能はざれば、則ち僅かに其の欲せざる所を施さざるのみ。故に仁の方と曰ふなり。
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『徂徠先生答問書』卷中君子の道も是を土台といたし候事は、君子の道は仁にて候。仁は国天下の民を安じ候事にて、もと人の上たるものの道にて候。孝弟忠信中庸の徳行は、分に相応にたれにてもなり申候事にて、上たる人ばかりの道にては無御座候。孝は父母を養ひ安んずる道にて候。弟は兄弟を養ひ安んずる道にて候。忠は君につかへて君を安んじ養ふ道にて候。信は朋友を安んじ養ふ道にて候。されば何れも皆仁の小わりと可被思召候。たゞ人々の量の大小御座候故、大量の人ならでは仁をわが任といたし候事なりがたく候。量の大小にかゝはらず、たれにても仁の心をおこなひ候事は、孝弟忠信中庸の徳行と可被思召候。是により孝弟忠信を土台といたし、是よりのぼり候へば、君子の仁もよく相応いたし、齟齬いたし候所無御座候。若又孝弟忠信を土台といたさず候て、国天下を安んずるわざをのみ求め候はゞ、却て邪術にはせ候あやまりも出来可申事故、子思などの書を作り其ふせぎをいたされ候事にて御座候。たゞ量の大小に随ひ教の名目は別にて候得共、道は一箇の道にて更に別の道は無御座候。よく〳〵御工夫可被成候。以上。
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