弁名 / 五常
五常始見泰誓。未審何謂也。仁義禮智竝言者。始見孟子及喪服四制。然未以爲五常。然荀子譏子思孟子造五行。則豈昉孟子邪。至於漢儒。始以仁義禮智信爲五常。以配諸元亨利貞。木火土金水。而宋儒因之。然史記樂書。以仁義禮智聖配宮商角徵羽而無信孟子亦曰。仁之於父子也。義之於君臣也。禮之於賓主也。知之於賢者也。聖人之於天道也。則與之合焉。王弼以貞配信爲水。則與諸家殊焉。孔安國註孝經。以父慈子孝兄友弟弟婦順爲五常。則大殊焉。可見皆出於一時論說之言而古所不傳已。至於宋儒。則元亨利貞。仁義禮智信。四德五常。爲儒者第一義。而未有敢議之者。皆不知古之失也。
新字:五常始見泰誓。未審何謂也。仁義礼智並言者。始見孟子及喪服四制。然未以為五常。然荀子譏子思孟子造五行。則豈昉孟子邪。至於漢儒。始以仁義礼智信為五常。以配諸元亨利貞。木火土金水。而宋儒因之。然史記楽書。以仁義礼智聖配宮商角徴羽而無信孟子亦曰。仁之於父子也。義之於君臣也。礼之於賓主也。知之於賢者也。聖人之於天道也。則与之合焉。王弼以貞配信為水。則与諸家殊焉。孔安国註孝経。以父慈子孝兄友弟弟婦順為五常。則大殊焉。可見皆出於一時論説之言而古所不伝已。至於宋儒。則元亨利貞。仁義礼智信。四徳五常。為儒者第一義。而未有敢議之者。皆不知古之失也。
書き下し
五常は始めて泰誓に見ゆ。未だ何の謂なるかを審らかにせず。仁義礼智並べ言ふ者は、始めて孟子及び喪服四制に見ゆ。然れども未だ以て五常と為さず。然れども荀子、子思・孟子の五行を造るを譏る。則ち豈に孟子に昉まるか。漢儒に至りて、始めて仁義礼智信を以て五常と為し、以て諸を元亨利貞・木火土金水に配す。而して宋儒之に因る。然れども史記楽書は、仁義礼智聖を以て宮商角徴羽に配して信無し。孟子も亦た曰く、「仁の父子に於ける、義の君臣に於ける、礼の賓主に於ける、知の賢者に於ける、聖人の天道に於ける」と。則ち之と合ふ。王弼は貞を以て信に配して水と為す。則ち諸家と殊なり。孔安国孝経に註して、父慈・子孝・兄友・弟弟・婦順を以て五常と為す。則ち大いに殊なり。皆一時論説の言に出でて、古の伝へざる所なるを見るべきのみ。宋儒に至りては、則ち元亨利貞、仁義礼智信、四徳五常、儒者の第一義と為りて、未だ敢へて之を議する者有らず。皆古を知らざるの失なり。
現代語訳
五常は『書経』泰誓に初めて見えるが、何を指すかはっきりしない。仁義礼智を並べて言うのは、孟子と『礼記』喪服四制に初めて見えるが、まだ五常とはしていない。しかし荀子が、子思と孟子が五行を作ったとそしっているから、孟子に始まるのだろうか。漢の儒者に至って、はじめて仁義礼智信を五常とし、易の元亨利貞や木火土金水に配した。宋儒はそれにならった。しかし『史記』楽書は、仁義礼智聖を宮商角徴羽の五音に配して、信がない。孟子もまた「仁が父子に、義が君臣に、礼が賓客と主人に、知が賢者に、聖人が天道に対する」と言っていて、楽書と合う。王弼は貞を信に配して水としており、諸家と異なる。孔安国は『孝経』に注して、父の慈しみ・子の孝・兄の友愛・弟の従順・妻の従順を五常としていて、大いに異なる。みな一時の論説の言葉から出たもので、古くから伝わったものではないことがわかる。宋儒に至っては、元亨利貞、仁義礼智信、四徳五常が儒者の第一義となり、あえてこれを論じる者もいない。みな古を知らない誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之一・総論五常の性は体なり。其理説きがたし。用にあらはれて、見えやすきを以て、其字義をいはば、愛を仁と云ふ。愛はあはれみなり。宜を義と云ふ。宜とは事物に相応するを云ふ。各其事につきて理に当るなり。理を礼と云ふ。理とは人をうやまひ、事に則ありて、正しくすぢめ有るを云ふ。通ずるを智と云ふ。道理に通じ、是非を知るを云ふ。守るを信と云ふ。偽なくして、道をかたく守りて、変ぜざるを云ふ。此字義は、周子の説なり。韓子曰く、人の性とする所の者は五、曰く仁義礼智信。是人の性に、此五の者そなはれる事をいへり。故に又五性とも云ふ。此五性をすべていへば仁なり。故に孔子は、唯仁の一字を以て教とし給ふ。是易に天地の大徳を生と曰ふといへる意に本づけり。
-
『五常訓』巻之二・仁之上一仁は義礼智信を兼ねて其中にあれども、五の者をならべ云ふ時は、各一理ありて、仁を相助くべし。仁の理、義を得ざれば宜しく行はれず。礼を得ざれば節分なくして立たず。智を得ざれば善悪を明かに知らず。信を得ざれば偽りありて守りがたし。四の者皆そなはりて、仁の道行はる。然れば義礼智信は、もと仁より出でて、仁をたすくる理なり。
-
『大和俗訓』巻之一・為学上性とは人の心に生れつきたる理をいふ、此五性は、いにしへ今天下の人、高き賤しきも、さかし愚なるも、おしなべて天地より生れつきて、万世迄も相かはることなき故に、五常といふ。常とは変らざるなり。中につきて、仁はあはれみの心なり。是を以て四徳をかねたり。義は宜しきなり。行ふ所各其物に相応するを云ふ。礼はうやまふ心、つつしみて侮らざるを云ふ。智は明かにさとる心、道理に通ずるなり。仁義礼も智なければ行ふすべを知らず。義礼智は皆仁より出で、仁をたすくる理なり。信はまことなり。仁義礼智の心信にして偽なきを云ふ。まことなければ仁義礼智にあらず。凡此五常の性にしたがひて、人倫に対してなさけふかく、あつく行ふを人の道とす。
-
『弁名』義仁義の並称は、六経・論語に是の言有ること莫し。行を主とするが故なり。七十子よりして後、道芸を論説するを以て務と為す。論説すること已まず、日に其の趣を見し、愈〻益〻自ら憙びて以て之を言ふ。亦た自ら其の先王の道を玩ぶに流るるを覚らざるなり。是れ勢の必ず至る所にして、道の汚隆焉に繫る。是に於てか仁義を以て並べ言ひ、遂に以て先王の道に命ずるに至る。然れども其の初めは聖人を去ること未だ遠からず。故に其の言も亦た道に盭らず。礼運の如き、曰く、「義は芸の分、仁の節なり。芸に協ひ、仁に講す。之を得る者は強し。仁は義の本なり、順の体なり。之を得る者は尊し」と。説卦伝に曰く、「人の道を立つ、曰く仁と義と」と。是れなり。夫れ先王の道は博しと雖も、民を安んずるに帰せざる者莫し。是れ所謂仁なり。然れども仁は言を以て尽くすべからず。故に礼楽を作りて以て之を教ふ。是れ所謂芸なり。義も亦た先王の立つる所、詩書の載する所是れなり。先王の教は、礼義を立てて以て人の大端と為す。故に書・論語・中庸は皆礼義を以て並べ言ひて、仁義を以て並べ言はず。
-
『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
-
『童子問』卷上問ふ、平生論孟を熟読すと雖も、然れども未だ其の要領を得ず。願はくは詳らかに教へられんことを。曰く、可なり。聖門学問の第一字は是れ仁なり。義以て配と為し、礼以て輔と為し、忠信以て之が地と為す。仁の義に与けるや、猶ほ陰の陽に与けるがごとし。故に曰く、義以て配と為すと。相離るることを得ざるを言ふなり。礼は防閑の在る所なり。故に曰く、礼以て輔と為すと。礼に非ざれば則ち以て仁を存すること無きを言ふなり。己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ。乃ち学問の基本なり。故に曰く、忠信以て之が地と為すと。猶ほ屋を造るに基址有るがごとし。是れ其の総要なり。皆夫の仁の徳を成す所以なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る