弁名 / 陰陽五行
如醫書五運六氣。借支干以明天地之氣感人生疾耳。聲色臭味。亦借五行以爲藏府之紀耳。故醫之拘五行者。不能療病。而諸史五行志。祇使人不信天道。豈非泥五行之故乎。又如易本以二四八立數。而不與五行相干焉。其所謂天數五。地數五。亦未嘗言五行。而漢儒乃以五行傅會。謬之甚者也。後世弗之察。陰陽五行。遂爲儒者常言。其說牽强。殆乎不可通焉。
新字:如医書五運六気。借支干以明天地之気感人生疾耳。声色臭味。亦借五行以為蔵府之紀耳。故医之拘五行者。不能療病。而諸史五行志。祇使人不信天道。豈非泥五行之故乎。又如易本以二四八立数。而不与五行相干焉。其所謂天数五。地数五。亦未嘗言五行。而漢儒乃以五行傅会。謬之甚者也。後世弗之察。陰陽五行。遂為儒者常言。其説牽強。殆乎不可通焉。
書き下し
医書の五運六気の如きは、支干を借りて以て天地の気の人を感じて疾を生ずるを明らかにするのみ。声色臭味も、亦た五行を借りて以て蔵府の紀と為すのみ。故に医の五行に拘はる者は、病を療する能はず。而して諸史の五行志は、祇だ人をして天道を信ぜざらしむ。豈に五行に泥むの故に非ずや。又た易の如きは本と二四八を以て数を立てて、五行と相干はらず。其の所謂天数五、地数五も、亦た未だ嘗て五行を言はず。而るを漢儒乃ち五行を以て傅会す。謬の甚だしき者なり。後世之を察せず、陰陽五行、遂に儒者の常言と為る。其の説牽強にして、殆ど通ずべからず。
現代語訳
医書の五運六気は、十干十二支を借りて、天地の気が人に感じて病を生じることを明らかにしただけである。音・色・匂い・味も、五行を借りて内臓の目印にしただけである。だから五行にとらわれる医者は病を治せない。そして歴代の史書の五行志は、ただ人に天道を信じなくさせるだけである。五行にこだわったせいではないか。また易はもともと二・四・八で数を立てていて、五行とは関わりがない。易のいう「天の数五、地の数五」も、五行を言ったことはない。それなのに漢の儒者は五行をこじつけた。はなはだしい誤りである。後世これを見抜かず、陰陽五行はついに儒者の決まり文句となった。その説はこじつけで、ほとんど筋が通らない。
解説
この章句が説くこと
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