弁名 / 理氣人欲
如仁齋先生以生風是扇之道。帋骨之類是器。亦味乎形而上下之文。皆不知求諸辭之失也。學易之道。固當廣推一切。而後易始成用。然苟不先明其辭義。而欲廣推一切。謬之所以生也。人見道字。動輒曰。是聖人之道也。曰是天道也。如曰一陰一陽之謂道是也。殊不知下文所謂一闔一闢謂之變。往來不窮謂之通。豈非所謂一陰一陽者乎。合二者觀之。所謂道者變通之謂也。非易道而何。
新字:如仁斎先生以生風是扇之道。帋骨之類是器。亦味乎形而上下之文。皆不知求諸辞之失也。学易之道。固当広推一切。而後易始成用。然苟不先明其辞義。而欲広推一切。謬之所以生也。人見道字。動輒曰。是聖人之道也。曰是天道也。如曰一陰一陽之謂道是也。殊不知下文所謂一闔一闢謂之変。往来不窮謂之通。豈非所謂一陰一陽者乎。合二者観之。所謂道者変通之謂也。非易道而何。
書き下し
仁斎先生の、風を生ずるは是れ扇の道、帋骨の類は是れ器とするが如きも、亦た形而上下の文を味はひ、皆諸を辞に求むることを知らざるの失なり。易を学ぶの道は、固より当に広く一切に推して、而る後に易始めて用を成すべし。然れども苟も先づ其の辞義を明らかにせずして、広く一切に推さんと欲するは、謬の生ずる所以なり。人道の字を見れば、動もすれば輒ち曰く、「是れ聖人の道なり」と、曰く、「是れ天道なり」と。「一陰一陽之を道と謂ふ」と曰ふが如き是れなり。殊に知らず、下文の所謂「一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ」、豈に所謂一陰一陽なる者に非ずや。二者を合はせて之を観れば、所謂道は変通の謂なり。易の道に非ずして何ぞや。
現代語訳
仁斎先生が「風を起こすのが扇の道であり、紙や骨の類が器である」としたのも、形而上・形而下の文を勝手に味わったもので、みな言葉そのものに意味を求めることを知らない誤りである。易を学ぶ道は、もちろん広くあらゆることに推し広げて、それではじめて易が役に立つ。しかし、まずその言葉の意味を明らかにしないで、広くあらゆることに推し広げようとするのは、誤りが生じるもとである。人は「道」の字を見ると、ともすればすぐ「これは聖人の道だ」「これは天道だ」と言う。「一陰一陽、これを道という」がそれである。ところが、下の文の「一たび閉じ一たび開くのを変といい、行き来して窮まらないのを通という」が、まさに一陰一陽のことであるのを知らない。二つを合わせて見れば、いわゆる道とは変通のことである。易の道でなくて何であろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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