弁名 / 理氣人欲
大傳曰。形而上者謂之道。形而下者謂之器。宋儒理氣之說。又據此文。以道爲理。以器爲氣。可謂大謬已。凡大傳所謂器者。皆器用也。如曰乘也者君子之器也。曰以制器者尙其象。曰備物致用立成器以爲天下利。莫大乎聖人。曰隼者禽也。弓矢者器也。射之者人也。君子藏器於身。待時而動。又曰象事知器。是豈氣之謂哉。
新字:大伝曰。形而上者謂之道。形而下者謂之器。宋儒理気之説。又拠此文。以道為理。以器為気。可謂大謬已。凡大伝所謂器者。皆器用也。如曰乗也者君子之器也。曰以制器者尚其象。曰備物致用立成器以為天下利。莫大乎聖人。曰隼者禽也。弓矢者器也。射之者人也。君子蔵器於身。待時而動。又曰象事知器。是豈気之謂哉。
書き下し
大伝に曰く、「形而上なる者之を道と謂ひ、形而下なる者之を器と謂ふ」と。宋儒の理気の説、又た此の文に拠りて、道を以て理と為し、器を以て気と為す。大謬と謂ふべきのみ。凡そ大伝の所謂器は、皆器用なり。「乗なる者は君子の器なり」と曰ひ、「以て器を制する者は其の象を尚ぶ」と曰ひ、「物を備へ用を致し、器を立成して以て天下の利と為すは、聖人より大なるは莫し」と曰ひ、「隼は禽なり。弓矢は器なり。之を射る者は人なり。君子は器を身に蔵し、時を待ちて動く」と曰ひ、又た「事を象りて器を知る」と曰ふが如し。是れ豈に気の謂ならんや。
現代語訳
『易』繋辞伝(大伝)に「形より上のものを道といい、形より下のものを器という」とある。宋儒の理気の説は、またこの文にもとづいて、道を理とし、器を気とした。大きな誤りと言うべきである。およそ繋辞伝のいう器とは、みな器物・道具のことである。「車は君子の器である」「器を作る者はその象を尊ぶ」「物をそろえ用を尽くし、器を作り上げて天下の利とすることは、聖人より大きなものはない」「隼は鳥である。弓矢は器である。それを射るのは人である。君子は器を身に蔵し、時を待って動く」、また「事を象って器を知る」とあるのがそうである。これがどうして気のことであろうか。
解説
この章句が説くこと
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