弁名 / 理氣人欲
理者。事物皆自然有之。以我心推度之。而有見其必當若是與必不可若是。是謂之理。凡人欲爲善。亦見其理之可爲而爲之。欲爲惡。亦見其理之可爲而爲之。皆我心見其可爲而爲之。故理者無定準者也。何則。理者無適不在者也。而人之所見。各以其性殊。辟則飴一焉。伯夷見之而曰。可以養老。盜跖見之而曰。可以沃樞。是無它。人各見其所見。而不見其所不見。故殊也。
新字:理者。事物皆自然有之。以我心推度之。而有見其必当若是与必不可若是。是謂之理。凡人欲為善。亦見其理之可為而為之。欲為悪。亦見其理之可為而為之。皆我心見其可為而為之。故理者無定準者也。何則。理者無適不在者也。而人之所見。各以其性殊。辟則飴一焉。伯夷見之而曰。可以養老。盗跖見之而曰。可以沃枢。是無它。人各見其所見。而不見其所不見。故殊也。
書き下し
理は、事物皆自然に之れ有り。我が心を以て之を推度して、其の必ず当に是くの若くなるべきと必ず是くの若くなるべからざるとを見る有り。是れ之を理と謂ふ。凡そ人善を為さんと欲するも、亦た其の理の為すべきを見て之を為す。悪を為さんと欲するも、亦た其の理の為すべきを見て之を為す。皆我が心其の為すべきを見て之を為す。故に理は定準無き者なり。何となれば、理は適くとして在らざる無き者なり。而して人の見る所、各々其の性を以て殊なり。辟へば則ち飴は一なり。伯夷之を見て曰く、「以て老を養ふべし」と。盗跖之を見て曰く、「以て枢に沃ぐべし」と。是れ它無し。人各々其の見る所を見て、其の見ざる所を見ず。故に殊なるなり。
現代語訳
理とは、物事にみな自然にそなわっているものである。自分の心でそれを推し量って、必ずこうあるべきだ、必ずこうあってはならない、と見るところがある。これを理という。およそ人が善をなそうとするときも、その理がなすべきだと見てなすのであり、悪をなそうとするときも、その理がなすべきだと見てなすのである。みな自分の心がなすべきだと見てなすのである。だから理には定まった基準がない。なぜなら、理はどこにでもあるものであるのに、人の見方はそれぞれ性によって異なるからである。たとえば飴は一つである。伯夷はそれを見て「老人を養うのによい」と言い、盗跖はそれを見て「戸の軸に注いで音を消すのによい(泥棒に便利だ)」と言った。ほかでもない。人はそれぞれ自分の見るところを見て、見ないところは見ない。だから異なるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。
-
『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段是にて陰陽陰陽と、生成して止まざることを知るべし。天は一、地は二、万物は三、天地有りて後の万物なり。人は万物の霊なるゆへに、万物を人に総合し、三に生ずるゆへに、人は寅に生ずとも云ふべし。又人、母の胎内に宿る時は、一滴の水なり。是れ雞の子の如くにして、牙を含めり。其の中に清陽なる者、虚にして心となるは、天の開くるなり。重濁なる者形となるは、地の闢くるなり。頭の形の高きは、葦牙の如しとも云ふべし。是くの如く見ば、天地開闢の理は、我が一身にも具はれり。此れを味はひ見ば、天地の始終は、古今共に同じ。それを今此の上下の天地、ひらけ始まること有りとの玉ひしことと、一概に見なし、又天は子に闢くるの、地は丑に闢くるの、人は寅に生るるのと、字面にかかわり、
-
『洗心洞箚記』卷上・第七十七條存心に二有り。聖賢より已下、心を理に存するは、固より無かるべからず。心を欲に存するは、決して有るべからず。然れども心を欲に存するは即ち易く、心を理に存するは乃ち難し。古人の詩に云ふ所の「呼び起す十年心上の事、春風楼下花を売る声」、是れ亦心を欲に存する者に庶し。故に学者省察の工夫、時刻も廃すべからざるは、此を以てなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。
-
『慎思録』巻之二大学或問に曰く、天下の物は、必ず各々其の然る所以の故と、其の当に然るべき所の則と有り。所謂理なり、と。愚謂ふ、当に然るべき所の者は、理の見易き者なり。所謂粗なり。然る所以の者は、理の見難き者なり。所謂精なり。夫れ理は一なり。其の表裏精粗有るを以て、二者の別有り。
-
『洗心洞箚記』卷下・第八條毛西河先生の詩に曰く、天門相望む楚江の秋、采石磯辺の旧酒楼、酔裏潮に乗じて纜を牽きて上る、疑はず江水の東に向かひて流るるをと。此の詩を観て、当に先生の理学に深きを知るべし。刀は木を切るに拙にして、鋸は木を切るに巧なり。鋸は人を殺すに難くして、刀は人を殺すに易し。故に器には各々用に適すること有り。用に適せざれば、則ち利器と雖も猶ほ鈍の如し。是の故に聖人は器として使ふなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る