弁名 / 思謀慮
慮亦思之精也。有委曲詳悉意。多以處事言之。故亦有危懼意。然如曰士四十始仕。出謀發慮。謀以方略言之。慮主我心言之。謀者有所營爲也。或爲人謀。或就人謀。皆必有所營爲之事。而論定其所以處置之方法也。如嘉謀嘉猷及出謀。皆指其所處置之術言之。孔子曰。好謀而成則聖人之貴術也。自後世詐謀詐術之說興。而儒者諱言術字。遂務欲說其理以喩人。拙哉。
新字:慮亦思之精也。有委曲詳悉意。多以処事言之。故亦有危懼意。然如曰士四十始仕。出謀発慮。謀以方略言之。慮主我心言之。謀者有所営為也。或為人謀。或就人謀。皆必有所営為之事。而論定其所以処置之方法也。如嘉謀嘉猷及出謀。皆指其所処置之術言之。孔子曰。好謀而成則聖人之貴術也。自後世詐謀詐術之説興。而儒者諱言術字。遂務欲説其理以喩人。拙哉。
書き下し
慮も亦た思の精しきなり。委曲詳悉の意有り。多く事に処するを以て之を言ふ。故に亦た危懼の意有り。然れども士四十にして始めて仕へ、謀を出し慮を発すと曰ふが如きは、謀は方略を以て之を言ひ、慮は我が心を主として之を言ふ。謀は営為する所有るなり。或いは人の為に謀り、或いは人に就きて謀る、皆必ず営為する所の事有りて、其の処置する所以の方法を論定するなり。嘉謀嘉猷及び謀を出すの如きは、皆其の処置する所の術を指して之を言ふ。孔子曰く、「謀を好みて成す」と。則ち聖人の貴ぶ術なり。後世詐謀詐術の説興りてより、儒者術の字を言ふを諱み、遂に務めて其の理を説きて以て人を喩さんと欲す。拙なるかな。
現代語訳
慮もまた思の精密なものである。細かく詳しく行き届くという意味があり、多く事に対処することについて言う。だから危ぶみ恐れるという意味もある。しかし「士は四十歳で初めて仕え、謀を出し慮を発する」というように、謀は方策について言い、慮は自分の心を主にして言う。謀とは、何かを営み行うことがあることである。人のために謀るにせよ、人に相談して謀るにせよ、必ず営み行う事柄があって、それを処置する方法を論じて定めるのである。「嘉謀嘉猷(よいはかりごと)」や「謀を出す」などは、みな処置する術を指して言っている。孔子は「謀を好んで成し遂げる」と言った。つまり謀は聖人が貴んだ術なのである。後世、詐謀・詐術という言い方が盛んになってから、儒者は「術」の字を口にすることを嫌い、ついに理屈を説いて人をさとそうと努めるようになった。拙いことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』思謀慮思は思惟なり。論語に曰く、「学びて思はざれば則ち罔し」と。子夏曰く、「切に問ひて近く思ふ」と。中庸に曰く、「博く之を学び、審らかに之を問ひ、慎みて之を思ひ、明らかに之を弁じ、篤く之を行ふ」と。管子に曰く、「之を思ひ之を思ふ。之を思ひて通ぜずんば、鬼神将に之を通ぜんとす」と。是れ学問の道、思を貴しと為すなり。洪範に曰く、「思を睿と曰ふ、睿は聖を作す」と。是れ聖人の徳、其の善く思ふを以てなり。孟子曰く、「心の官は則ち思ふ」と。是れ人の人為る所以も、亦た其の能く思ふを以てのみ。後儒の深遠の思ひ無き、乃ち三思を以て大過と為す。妄なるかな。
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『弁名』心志意志は心の之く所。此れ説文の訓なり。是れ字の偏傍を以て説を為す、字学家の言のみ。仁斎先生曰く、「心の存主する所なり」と。之を得たり。医書に腎は精と志とを蔵すといふも、亦た見るべきのみ。意は念を起こすを謂ふなり。人の無かるべからざる者なり。聖人と雖も亦た爾り。子四を絶つ、意毋しの如きは、本と孔子の礼を行ふを以て之を言ふ。孔子の心は、礼と一なり。故に其の礼を行ふに当たりて、全く意を経ざるが若く然り。是れ其の動容周旋礼に中る者を形容するのみ。後儒語意の在る所を識らず、或いは私意無しと謂ひ、或いは聖人盛徳の至り、自ら往来計較の心無しと謂ふ。皆泥めり。大学の誠意の如きは、乃ち好悪を以て之を言ふ。意の誠は、格物の功効なり。朱註以来、皆文意を解せず。
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『弁名』忠信忠とは、人の為に謀り、或いは人の事に代はりて、能く其の中心を尽くし、視ること己の事の若く、懇到詳悉にして至らざる莫きなり。或いは君に事ふるを以て之を言ひ、或いは専ら訟を聴くを以て之を言ふ。訟を聴くも亦た君に事へ官に居るの事なり。然れども五刑の属三千、至つて繁細たり。而して民の詐りを懐き、獄訟の情得難く、彼此怨みを構ふ。苟も能く其の情を体するに非ずんば、則ち其の平を得ず。故に周礼の六徳に、忠は司寇の材為り。左伝に、「小大の獄、察すること能はずと雖も、必ず情を以てす」と、「忠の属なり」と。以て見るべきのみ。子は四を以て教ふ、文・行・忠・信。忠は政事の科為り。政事は君に代はるの事なり。故に忠を以て之に命ず。
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荀子・大略篇文貌と情用とは、相ひ内外表裏を為す。礼の中に在りて、能く思索する、之を能く慮ると謂ふ。
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『弁名』王覇後世の儒者は口に能く徳を以て之を化すと言ふと雖も、然れども之を化する所以の術を知らず。是れ其の過は本と道を以て当然の理と為して、其の民を安んずるの術たるを知らざるに在り。故に又徳を以て仁義孝悌の類と為して、有徳の人を挙用して以て民を導くを知らざるなり。故に其れ務めて己の徳を以て之を導かんと欲す。是れ其の意既に急迫にして、自ら用ひて術無し、何を以てか能く民をして其の風に嚮はしめんや。又誤りて礼を以て法と為し、上下尊卑等威明白にして少しも差忒せざるを以て説と為す。則ち名家者流の意を出でず、豈に以て先王の天下を陶鋳するの術と為すに足らんや。夫れ桓文は先王に及ばずと雖も、猶ほ其の術有り。豈に後世の儒者の不学無術の倫の若くならんや。吁、古言を知らざるの失、一に斯に至る。悲しいかな。
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『弁道』第一則古の時は、作者之を聖と謂ふ。而るに孔子は作者に非ず。故に至誠を以て聖人の徳と為し、而して又た三重の説有り。主意の在る所、孔子の為に嘲りを解く者なること見るべし。然れども誠は聖人の一徳なり、豈に以て之を尽くすに足らんや。孟子の性善に至りては、亦た子思の流れなり。杞柳の喩へは、告子之を尽くせり。孟子の之を折くは過てり。蓋し子思の本意も、亦た聖人人性に率ひて以て道を立つと謂ふのみ。人人性に率へば自然に皆道に合ふと謂ふに非ざるなり。它木は桮棬と為すべからず、則ち杞柳の性に桮棬有り。然りと雖も、桮棬豈に杞柳の自然ならんや。惻隠羞悪は、皆仁義の性に本づくを明らかにするのみ。其の実、惻隠は以て仁を尽くすに足らず、而して羞悪も未だ必ずしも義ならざる者有り。言を立つること一偏なれば、毫釐も千里なり。後世の心学、此に胚胎す。荀子の之を非とするは是なり。故に思孟は聖門の禦侮なり。荀子は思孟の忠臣なり。
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