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弁名 / 性情才

才材同。人之有材。譬諸木之材。或可以爲棟梁。或可以爲宗桷。人隨其性所殊。而各有所能。是材也。如孟子所謂非才之罪。天之降才。不能盡其才。皆謂性也。仁齋先生訓性之能。爲是。如高陽氏有不才子。則如云棄材也。謂其不可用也。又有唯訓能者。如周公多材多藝。盆成括小有才。是也。後世才字。皆唯訓能耳。

新字:才材同。人之有材。譬諸木之材。或可以為棟梁。或可以為宗桷。人随其性所殊。而各有所能。是材也。如孟子所謂非才之罪。天之降才。不能尽其才。皆謂性也。仁斎先生訓性之能。為是。如高陽氏有不才子。則如云棄材也。謂其不可用也。又有唯訓能者。如周公多材多芸。盆成括小有才。是也。後世才字。皆唯訓能耳。

書き下し

才は材と同じ。人の材有るは、諸を木の材に譬ふ。或いは以て棟梁と為すべく、或いは以て宗桷と為すべし。人其の性の殊なる所に随ひて、各々能くする所有り。是れ材なり。孟子の所謂才の罪に非ず、天の才を降す、其の才を尽くす能はずの如きは、皆性を謂ふなり。仁斎先生、性の能と訓ずるは、是なり。高陽氏に不才の子有りの如きは、則ち棄材と云ふが如きなり。其の用ふべからざるを謂ふなり。又た唯だ能と訓ずる者有り。周公の多材多芸、盆成括の小しく才有りの如き、是れなり。後世の才の字は、皆唯だ能と訓ずるのみ。

現代語訳

才は材と同じである。人に材があるのは、木の材にたとえられる。あるものは棟や梁にでき、あるものは垂木にできる。人はその性の違いに従って、それぞれできることがある。これが材である。孟子の言う「才の罪ではない」「天が才を降す」「その才を尽くせない」などは、みな性のことを言っている。仁斎先生が「性の能」と訓じたのは正しい。高陽氏に「不才の子」がいたというのは、「捨てられた材」というのと同じで、用いることができないという意味である。また、ただ「能(できること)」と訓じる用法もある。周公の「多材多芸」や、盆成括の「少し才がある」がそれである。後世の「才」の字は、みなただ「能」と訓じるだけになった。

解説

徂徠は「才」を「材」と同じとし、木材のたとえで説く。棟梁になる木もあれば垂木になる木もあり、優劣ではなく使い道の違いである。人も性の違いに応じてそれぞれできることがあり、それが才だという。後世、才が単なる能力の意味に縮んだのに対し、古義では性に根ざした向き不向きを含んでいた。徂徠の人材論の核心であり、一人ひとりの材を見きわめて適所に置くことが政治の要とされる。採用や配置で、点数で並べるより、どこに使える材かを見る視点を持ちたい。

この章句が説くこと

才材性人材適材仁斎

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