弁名 / 性情才
是無它。宋儒不循聖人之敎。而妄意求爲聖人。又不知先王之敎之妙。乃取諸其臆。造作持敬究理擴天理去人欲種種工夫。遂以立其本然氣質之說耳。仁齋先生活物死物之說。誠千歲之卓識也。祗未知先王之敎。區區守孟子爭辯之言。以爲學問之法。故其言終未明鬯者。豈不惜乎。
新字:是無它。宋儒不循聖人之教。而妄意求為聖人。又不知先王之教之妙。乃取諸其臆。造作持敬究理擴天理去人欲種種工夫。遂以立其本然気質之説耳。仁斎先生活物死物之説。誠千歳之卓識也。祗未知先王之教。区区守孟子争弁之言。以為学問之法。故其言終未明鬯者。豈不惜乎。
書き下し
是れ它無し。宋儒は聖人の教へに循はずして、妄意に聖人と為らんことを求め、又た先王の教への妙を知らず。乃ち諸を其の臆に取りて、持敬・究理・天理を拡め人欲を去る種種の工夫を造作し、遂に以て其の本然気質の説を立つるのみ。仁斎先生の活物死物の説は、誠に千歳の卓識なり。祇だ未だ先王の教へを知らず、区区として孟子争辯の言を守り、以て学問の法と為す。故に其の言終に未だ明暢ならざる者、豈に惜しからずや。
現代語訳
その理由はほかでもない。宋儒は聖人の教えに従わずに、勝手に聖人になろうとし、しかも先王の教えの妙を知らなかった。そこで自分の胸の内から取り出して、持敬・窮理・天理を拡充し人欲を去るなど、さまざまな修養の工夫をこしらえ、そうして本然・気質の説を立てたのである。仁斎先生の「活物・死物」の説は、まことに千年に一度の卓見である。ただ先王の教えをまだ知らず、孟子の論争の言葉をこまごまと守って学問の方法とした。だからその言葉は結局すっきりと通らなかった。なんと惜しいことか。
解説
本然気質の説が生まれた原因を、徂徠は宋儒が聖人の教えに従わず、自ら聖人になろうとしたことに求める。先王の教えの妙を知らないので、持敬や窮理、天理を拡め人欲を去るといった修養法を自分の頭で作り出した。一方、仁斎の「活物死物」の説、すなわち人も世界も生きて動くものと見る考えは千年に一度の卓見と称えるが、孟子の論争の言葉にとらわれて徹底しなかったと惜しむ。論敵の長所を正当に認めつつ限界を示す態度が見える。自己流の修養法を作り込むより、先人の確かな型を学ぶ方が、遠回りに見えて近道なのである。
この章句が説くこと
性気質朱子学伊藤仁斎活物修養
関連する章句
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『弁名』性情才性とは、生の質なり。宋儒の所謂気質なる者是れなり。其の性に本然有り気質有りと謂ふ者は、蓋し学問の為の故に設く。亦た孟子を誤読して、人の性は皆聖人と異ならず、其の異なる所の者は気質のみと謂ふ。遂に気質を変化して以て聖人に至らんと欲す。若し唯だ本然のみにして気質無からしめば、則ち人人聖人なり。何ぞ学問を用ひん。又た若し唯だ気質のみにして本然の性無からしめば、則ち学ぶと雖も益無し。何ぞ学問を用ひん。是れ宋儒の本然気質の性を立つる所以の意なり。然れども胚胎の初め、気質已に具はれば、則ち其の所謂本然の性なる者は、唯だ之を天に属すべくして、人に属すべからざるなり。又た以為へらく、理は局する所有る莫し。気質の局する所と雖も、実に局せざる所の者存すと。則ち禽獣と人と何ぞ択ばん。故に又た諸を正通偏塞の説に帰して、本然の説終に立たず。妄説と謂ふべきのみ。
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『学則』答安澹泊書本然の性・気質の性は、本と孔孟の言の合はざるに苦しむが為に設く。然れども胚胎の始め、気質在り。故に古に此の言無し。而して孟子の性善も亦た大概之を言ふのみ。舜何人ぞや、吾何人ぞや、とは、本と聖人の教へに循ひて以て道を天下に行へば、則ち聖人の治難からざるを言ふ。而るに宋儒乃ち身ら聖人と為らんことを求む。然れども程朱既に聖人と為る能はず、而して孔子の後復た聖人有る無し。則ち是れ空言を懸けて以て人の能はざる所を強ふるなり。変化気質に至りては、亦た経に此の言無し。気質は天の賦する所、豈に変ずべけんや。人各〻資禀に随ひ、以て材を達し徳を成し、諸を国家に用ふ。諸を刀鋸椎鑿に辟ふれば、各〻其の用を殊にして、以て大廈を成す。三代と雖も亦た然り。豈に必ずしも変ずるを須ゐんや。
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『弁名』性情才仁斎先生曰く、「心に於いては則ち存と曰ひ尽と曰ひ、性に於いては則ち養と曰ひ忍と曰ひ、志は則ち持と曰ひ尚と曰ふ。情と才との若きは、皆必ずしも工夫を用ひず。先儒情を約するの語有るは、非なり」と。是れ其の人専ら孟子を守りて、先王礼楽の教を知らず。故に以て情は理めずして可なりと為す。其の顔子の怒りを遷さざるを論じて、「舜四凶を殛す、猶ほ当に余怒有るべし」と曰ふを観れば、豈に然らずや。夫れ情は思慮に渉らざる者なり。楽の教為る、義理の言ふべき無く、思慮の用ふべき無し。故に性情を理むるに楽を以てす。是れ先王の教の術なり。豈に理学者流の能く知る所ならんや。伊川先生の所謂情を約して中に適ふ、其の言豈に非ならんや。然れども亦た之を約するの方を知らずして、情上に就きて功を用ひんと欲するは則ち過てり。
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『弁名』性情才故に楽を立てて以て之を教ふ。性は人の天に受くる所、所謂中是れなり。故に其の嬰孩の初め、喜怒哀楽未だ事を用ひざるの時を以て之を言ふ。所謂人生まれて静かなる者是れなり。是れ必ず嬰孩の初めに復らんことを求むと謂ふに非ず。又た静虚を以て至りと為すと謂ふに非ず。楽を為りて能く其の躁動を制し、其の過甚を防ぐ。故に其の未だ甚だしからざるの時を以て之を言ふのみ。中庸の未発の中の如きも、亦た未発の時を以て大本と為し、功を施すの地と為すに非ず。但だ人の性、天地の中を稟く、故に先王の道、人の性に率ひて以て之を立つと謂ふのみ。後儒、古言を知らず、古文辞を知らず、又た先王の教の術を知らず、妄りに以て本然の徳と為し、務めて義理を以て之を説き、遂に宋儒の陋を成す。王氏・伊藤氏又た宋儒の解に拠りて古文辞を読み、其の孔門の言に非ずと議する者は何ぞや。大氐性と習とは得て別つべからざる者なり。故に古者性を語るに、多く嬰孩の初めを以て之を言ふのみ。豈に嬰孩を以て貴しと為さんや。又た孟子の「大人は其の赤子の心を失はざる者なり」と曰ふが如きも、亦た宋儒復初の説の本づく所なり。殊に知らず、大人は乃ち大舜の誤りなるのみ。
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