弁名 / 天命帝鬼神
仁齋先生又曰。卜筮之說。世俗所多悅。而甚害於義理。何者。從義則不必用卜筮。從卜筮則不得不舍義焉。義當生則生。義當死則死。在己而已。何待卜筮而決之也。君子去就進退。用舍行藏。惟義所在。奚問利不利爲。夫卜筮者。傳鬼神之言者也無鬼神則無卜筮。有鬼神則有卜筮。既以尊鬼神爲非孔子之意。則廢卜筮亦其所也。祇觀其所言。專以己言之。是予所謂後儒忘先王孔子之道爲安民之道。而動求諸己者。豈不然乎。
新字:仁斎先生又曰。卜筮之説。世俗所多悦。而甚害於義理。何者。従義則不必用卜筮。従卜筮則不得不舎義焉。義当生則生。義当死則死。在己而已。何待卜筮而決之也。君子去就進退。用舎行蔵。惟義所在。奚問利不利為。夫卜筮者。伝鬼神之言者也無鬼神則無卜筮。有鬼神則有卜筮。既以尊鬼神為非孔子之意。則廃卜筮亦其所也。祇観其所言。専以己言之。是予所謂後儒忘先王孔子之道為安民之道。而動求諸己者。豈不然乎。
書き下し
仁斎先生又た曰く、「卜筮の説は、世俗の多く悦ぶ所にして、甚だ義理を害す。何となれば、義に従へば則ち必ずしも卜筮を用ひず。卜筮に従へば則ち義を舎てざるを得ず。義当に生くべければ則ち生き、義当に死すべければ則ち死す。己に在るのみ。何ぞ卜筮を待ちて之を決せんや。君子の去就進退、用舎行蔵は、惟だ義の在る所のみ。奚ぞ利不利を問ふを為さん」と。夫れ卜筮は、鬼神の言を伝ふる者なり。鬼神無ければ則ち卜筮無く、鬼神有れば則ち卜筮有り。既に鬼神を尊ぶを以て孔子の意に非ずと為せば、則ち卜筮を廃するも亦た其の所なり。祇だ其の言ふ所を観るに、専ら己を以て之を言ふ。是れ予の所謂後儒は先王孔子の道の民を安んずるの道為るを忘れて、動もすれば諸を己に求むる者、豈に然らざらんや。
現代語訳
仁斎先生はまた言う。「卜筮の説は世間で多く好まれるが、義理をひどく害する。なぜなら、義に従えば卜筮を用いる必要はなく、卜筮に従えば義を捨てざるをえないからである。義において生きるべきなら生き、死ぬべきなら死ぬ。それは自分にかかっている。どうして卜筮を待って決めることがあろうか。君子の去就・進退・用いられるか退けられるかは、ただ義のあるところに従うだけである。どうして利・不利を問うことがあろうか」。そもそも卜筮とは、鬼神の言葉を伝えるものである。鬼神がなければ卜筮もなく、鬼神があれば卜筮もある。すでに鬼神を尊ぶことを孔子の意図ではないとしたのだから、卜筮を廃するのも当然の成り行きである。ただその言うところを見ると、もっぱら自分のこととして語っている。これは私のいう、後世の儒者は先王や孔子の道が民を安んじる道であることを忘れて、ややもすれば自分の内に求める、ということそのままではないか。
解説
この章句が説くこと
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論語・為政篇子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂いなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。
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