弁名 / 天命帝鬼神
宋儒謂當言義而命不足道則仁齋先生譏之。至於其自爲說。則亦唯言義而已。乃問其知命之說。則唯以不動心言之。孟子所闢楊氏爲我者。豈它哉。大氐後儒貴知。主言之。先王孔子之道不然。主行道施於民。大氐民之爲事。疑沮於天之不可知者。人情爲爾。故卜筮禱請。亘萬古而不能廢者亦人情爲爾。聖人能盡人之性。故率人之性。立以爲道。豈爲己而設之乎。學者其思諸。
新字:宋儒謂当言義而命不足道則仁斎先生譏之。至於其自為説。則亦唯言義而已。乃問其知命之説。則唯以不動心言之。孟子所闢楊氏為我者。豈它哉。大氐後儒貴知。主言之。先王孔子之道不然。主行道施於民。大氐民之為事。疑沮於天之不可知者。人情為爾。故卜筮祷請。亘万古而不能廃者亦人情為爾。聖人能尽人之性。故率人之性。立以為道。豈為己而設之乎。学者其思諸。
書き下し
宋儒は当に義を言ふべくして命は道ふに足らずと謂ふ。則ち仁斎先生之を譏る。其の自ら説を為すに至りては、則ち亦た唯だ義を言ふのみ。乃ち其の知命の説を問へば、則ち唯だ不動心を以て之を言ふ。孟子の闢くる所の楊氏の為我なる者、豈に它ならんや。大抵後儒は知を貴び、言を主とす。先王孔子の道は然らず。道を行ひて民に施すを主とす。大抵民の事を為すや、天の知るべからざる者に疑沮す。人情爲れなり。故に卜筮禱請、万古に亘りて廃する能はざる者も、亦た人情爲れなり。聖人は能く人の性を尽くす。故に人の性に率ひて、立てて以て道と為す。豈に己の為にして之を設けんや。学者其れ之を思へ。
現代語訳
宋儒が「義を言うべきで、命は言うに足りない」と言うと、仁斎先生はそれを非難した。ところが自分で説を立てると、やはり義を言うだけである。その知命の説を問えば、ただ「心を動かさない」ということで説明する。孟子が退けた楊朱の「自分のためにする」説と、どこが違うだろうか。おおよそ後世の儒者は知を貴び、言葉を主とする。先王や孔子の道はそうではなく、道を行って民に施すことを主とする。おおよそ民が事を行うとき、天の知りえないことに疑いためらう。それが人情である。だから卜筮や祈禱が万古にわたって廃されないのも、人情だからである。聖人は人の性をよく尽くす。だから人の性に従って道を立てた。どうして自分のために設けたであろうか。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』天命帝鬼神然れども予を以て之を観れば、亦た伊川と何ぞ択ばんや。祇だ其の言を敷衍すると否との異なるのみ。且つ孔子の所謂「命を知らざれば以て君子と為る無し」とは、本と天の我に命ずるに此の道を以てするを知るを謂ふなり。先王の民を安んずるを以て心と為して斯の道を立つる所以の者も、亦た天命を知るを以てなり。故に此を知るに非ずんば則ち以て君子と為る無し。宋の諸老先生、先王の道の天を敬し民を安んずるを以て本と為すを忘れて、専ら諸を己に求め、遂に荘周の内聖外王の説に陥る。爾れより以来、俊民有りと雖も、迷ひて悟らず。仁斎先生の聡敏の如きも、亦た其の余習の病む所と為る。故に其の見る所を究むれば、豈に達磨・恵能と相遠からんや。惜しむべきの至りなり。
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『弁名』天命帝鬼神仁斎先生又た曰く、「卜筮の説は、世俗の多く悦ぶ所にして、甚だ義理を害す。何となれば、義に従へば則ち必ずしも卜筮を用ひず。卜筮に従へば則ち義を舎てざるを得ず。義当に生くべければ則ち生き、義当に死すべければ則ち死す。己に在るのみ。何ぞ卜筮を待ちて之を決せんや。君子の去就進退、用舎行蔵は、惟だ義の在る所のみ。奚ぞ利不利を問ふを為さん」と。夫れ卜筮は、鬼神の言を伝ふる者なり。鬼神無ければ則ち卜筮無く、鬼神有れば則ち卜筮有り。既に鬼神を尊ぶを以て孔子の意に非ずと為せば、則ち卜筮を廃するも亦た其の所なり。祇だ其の言ふ所を観るに、専ら己を以て之を言ふ。是れ予の所謂後儒は先王孔子の道の民を安んずるの道為るを忘れて、動もすれば諸を己に求むる者、豈に然らざらんや。
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『弁名』天命帝鬼神且つ其の言に曰く、「其の道を明らかにし、其の義を暁らかにし、民をして従ふ所に惑はざらしむ」と。其の言は則ち是なり。而して其の意は則ち非なり。若し先王の道を明らかにし、先王の義を暁らかにし、一意に先王の教へに従ひて、他岐の惑ひ無からしめば則ち可なり。然れども先王の教へは、礼のみ。今先王の礼に遵はずして、言語を以て其の理を明らかにせんと欲す。則ち君子すら尚ほ能はず。況んや民にして戸ごとに之に説き、其の理を喩りて鬼神に惑はざらしむるをや。是れ百孔子と雖も亦た能はざる所なり。乃ち其の理学の錮ぐ所と為りて、自ら其の言の非なるを覚らざる者、豈に悲しからずや。漢以来、仏老の道天下に満ちて、之を能く廃する莫き者は、先王鬼神の教へ壊るるが故なり。是れ豈に理学者流の能く知る所ならんや。
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『弁名』天命帝鬼神命とは、天の我に命ずるを謂ふなり。或いは有生の初めを以て之を言ひ、或いは今日を以て之を言ふ。中庸に曰く、「天の命ずる之を性と謂ふ」と。是れ有生の初めを以て之を言ふ者なり。書に曰く、「惟れ命は常に于てせず」と。是れ今日を以て之を言ふ者なり。仁斎先生、子夏・孟子の言を引きて、必ず命を以て有生の初めに定まると為す者は非なり。殊に知らず、子夏・孟子は皆彼に在る者を以て天と為し、是に至る者を以て命と為すことを。其の実は則ち命は是れ天の命ずる所なり。天と命と豈に岐つべけんや。是に因りて遂に「五十にして天命を知る」を以て天と命とを知ると為す。豈に是れ有らんや。且つ孟子の所謂「之を致す莫くして至る」者も、亦た貧賤を以て之を言ふのみ。孔子曰く、「富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てせずして之を得れば処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以てせずして之を得るも去らざるなり」と。是れ富貴を得るの道は仁にして、貧賤を得るの道は不仁なり。君子は仁を行ひて以て命を致す。故に書に曰く、「天に永命を祈る」と。易に曰く、「命を致し志を遂ぐ」と。又た曰く、「位を正し命を凝らす」と。唯だ君子は貧賤を致すの道無し。故に孟子云ふのみ。
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『弁名』天命帝鬼神仁斎先生の宋儒を駁する者は至れり。然れども其の学は猶ほ後世の学のごときなり。其の言に曰く、「有心を以て之を視れば、則ち災異に流る、漢儒の若き是れなり。無心を以て之を視れば、則ち虚無に流る、宋儒の若き是れなり」と。善く調停を為す者と謂ふべきのみ。果して其の説の是ならんか、則ち天なる者は有心無心の間の者なり。妄と謂ふべきのみ。夫れ天の人と倫を同じくせざるは、猶ほ人の禽獣と倫を同じくせざるがごとし。故に人を以て禽獣の心を視んとするも、豈に得べけんや。然れども禽獣は心無しと謂ふは不可なり。
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『弁名』天命帝鬼神宋儒曰く、「生死聚散は、理之が主宰を為す」と。是れ天を知るを以て自負する者なり。仁斎先生曰く、「天地の道は、生有りて死無く、聚有りて散無し。死は便ち生の終り、散は便ち聚の尽くるなり。天地の道は生に一なるが故なり」と。是れも亦た天を知るを以て自負する者なり。夫れ聚有り散有りとする者は、其の説必ず十二元会に至りて極まる。生に一なりとする者は、其の説必ず今日の天地即ち万古の天地なりといふに至りて極まる。是れ皆己の見る所を推して以て己の見ざる所を言ひ、而して人の己を信ぜんことを求むる者なり。夫れ孰か之を信ぜんや。是れ皆自ら聖とする者なり。古聖人を信ぜざる者なり。天を敬せざる者なり。
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