弁名 / 天命帝鬼神
仁齋先生曰。三代聖王之治天下也。好民之所好。信民之所信。以天下之心爲心。而未嘗以聰明先于天下。故民崇鬼神則崇之。民信卜筮則信之。故其卒也又不能無弊焉。及至于孔子。則專以敎法爲主。而明其道。曉其義。使民不惑於所從焉。孟子所謂賢於堯舜遠矣。正謂此耳。是其臆度之見。盭道之甚者也。何則。鬼神者先王立焉。先王之道。本諸天。奉天道以行之。祀其祖考。合諸天。道之所由出也。故曰。合鬼與神。敎之至也。故詩書禮樂。莫有不本諸鬼神者焉。仁齋之意。蓋謂三代聖王。其心亦不尙鬼神。唯以民所好。而姑且從之。妄哉。是不知道者之言也。
新字:仁斎先生曰。三代聖王之治天下也。好民之所好。信民之所信。以天下之心為心。而未嘗以聰明先于天下。故民崇鬼神則崇之。民信卜筮則信之。故其卒也又不能無弊焉。及至于孔子。則専以教法為主。而明其道。暁其義。使民不惑於所従焉。孟子所謂賢於堯舜遠矣。正謂此耳。是其臆度之見。盭道之甚者也。何則。鬼神者先王立焉。先王之道。本諸天。奉天道以行之。祀其祖考。合諸天。道之所由出也。故曰。合鬼与神。教之至也。故詩書礼楽。莫有不本諸鬼神者焉。仁斎之意。蓋謂三代聖王。其心亦不尚鬼神。唯以民所好。而姑且従之。妄哉。是不知道者之言也。
書き下し
仁斎先生曰く、「三代聖王の天下を治むるや、民の好む所を好み、民の信ずる所を信じ、天下の心を以て心と為して、未だ嘗て聡明を以て天下に先んぜず。故に民鬼神を崇べば則ち之を崇び、民卜筮を信ずれば則ち之を信ず。故に其の卒りや又た弊無き能はず。孔子に至るに及びては、則ち専ら教法を以て主と為して、其の道を明らかにし、其の義を暁らかにし、民をして従ふ所に惑はざらしむ。孟子の所謂堯舜より賢ること遠しとは、正に此を謂ふのみ」と。是れ其の臆度の見、道に盭ふの甚だしき者なり。何となれば、鬼神は先王の立つる所なり。先王の道は、諸を天に本づけ、天道を奉じて以て之を行ふ。其の祖考を祀りて、諸を天に合す。道の由りて出づる所なり。故に曰く、「鬼と神とを合するは、教への至りなり」と。故に詩書礼楽、諸を鬼神に本づけざる者有る莫し。仁斎の意は、蓋し三代の聖王も、其の心亦た鬼神を尚ばず、唯だ民の好む所を以て、姑く且く之に従ふと謂ふ。妄なるかな。是れ道を知らざる者の言なり。
現代語訳
仁斎先生は言う。「三代の聖王が天下を治めたときは、民の好むものを好み、民の信じるものを信じ、天下の心を自分の心として、自分の聡明さで天下に先んじることはなかった。だから民が鬼神を崇めれば崇め、民が卜筮を信じれば信じた。そのため結局は弊害を免れなかった。孔子に至って、もっぱら教えを主として、その道を明らかにし、その義を分からせ、民が従うところに迷わないようにした。孟子が孔子を『堯舜よりはるかに賢い』と言ったのは、まさにこのことである」。これは臆測の見方で、道に背くことはなはだしい。なぜなら、鬼神は先王が立てたものだからである。先王の道は天に基づき、天道を奉じて行う。その祖先を祀り、天に合わせる。これが道の出てくるもとである。だから「鬼と神を合わせて祀るのは教えの極みである」という。だから詩書礼楽で、鬼神に基づかないものはない。仁斎の考えは、三代の聖王も心では鬼神を尊ばず、ただ民が好むのでとりあえず従っただけだ、というのであろう。でたらめである。これは道を知らない者の言葉である。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』天命帝鬼神是れ或いは孔子の猟較の類を見て、妄りに是の言を作すのみ。夫れ聖王と雖も、其の即位の初めは或いは然らん。其の化の成るに及びては、陶鋳して以て之を出だすが如し。果して其の言の是ならんか、則ち聖王の民に於ける、亦た之を若何ともする能はざるのみ。聖人の道、豈に是の若く孱ならんや。且つ三代の道、之を弊有りと謂ふ所以の者は、乃ち其の損益する所を謂ふのみ。夫れ聖王の鬼神を尊ぶは、三代皆然り。若し之を弊有りと謂はば、則ち其の因る所の者弊有りと為す。果して因る所の者をして弊有らしめば、則ち安くに其の聖人為るに在らんや。王安石の三不畏を観れば、則ち其の所謂其の道を明らかにし其の義を暁らかにする者、豈に弊無からんや。且つ其の所謂孔子は教法を以て主と為す者は、口を以て諄諄として之を言ふを教と為すのみ。陋なるかな。是れ講師の事なり。豈に孔子にして是の若くならんや。
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『弁名』天命帝鬼神且つ其の言に曰く、「其の道を明らかにし、其の義を暁らかにし、民をして従ふ所に惑はざらしむ」と。其の言は則ち是なり。而して其の意は則ち非なり。若し先王の道を明らかにし、先王の義を暁らかにし、一意に先王の教へに従ひて、他岐の惑ひ無からしめば則ち可なり。然れども先王の教へは、礼のみ。今先王の礼に遵はずして、言語を以て其の理を明らかにせんと欲す。則ち君子すら尚ほ能はず。況んや民にして戸ごとに之に説き、其の理を喩りて鬼神に惑はざらしむるをや。是れ百孔子と雖も亦た能はざる所なり。乃ち其の理学の錮ぐ所と為りて、自ら其の言の非なるを覚らざる者、豈に悲しからずや。漢以来、仏老の道天下に満ちて、之を能く廃する莫き者は、先王鬼神の教へ壊るるが故なり。是れ豈に理学者流の能く知る所ならんや。
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『弁名』天命帝鬼神仁斎先生又た曰く、「卜筮の説は、世俗の多く悦ぶ所にして、甚だ義理を害す。何となれば、義に従へば則ち必ずしも卜筮を用ひず。卜筮に従へば則ち義を舎てざるを得ず。義当に生くべければ則ち生き、義当に死すべければ則ち死す。己に在るのみ。何ぞ卜筮を待ちて之を決せんや。君子の去就進退、用舎行蔵は、惟だ義の在る所のみ。奚ぞ利不利を問ふを為さん」と。夫れ卜筮は、鬼神の言を伝ふる者なり。鬼神無ければ則ち卜筮無く、鬼神有れば則ち卜筮有り。既に鬼神を尊ぶを以て孔子の意に非ずと為せば、則ち卜筮を廃するも亦た其の所なり。祇だ其の言ふ所を観るに、専ら己を以て之を言ふ。是れ予の所謂後儒は先王孔子の道の民を安んずるの道為るを忘れて、動もすれば諸を己に求むる者、豈に然らざらんや。
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『弁名』天命帝鬼神宋儒は当に義を言ふべくして命は道ふに足らずと謂ふ。則ち仁斎先生之を譏る。其の自ら説を為すに至りては、則ち亦た唯だ義を言ふのみ。乃ち其の知命の説を問へば、則ち唯だ不動心を以て之を言ふ。孟子の闢くる所の楊氏の為我なる者、豈に它ならんや。大抵後儒は知を貴び、言を主とす。先王孔子の道は然らず。道を行ひて民に施すを主とす。大抵民の事を為すや、天の知るべからざる者に疑沮す。人情爲れなり。故に卜筮禱請、万古に亘りて廃する能はざる者も、亦た人情爲れなり。聖人は能く人の性を尽くす。故に人の性に率ひて、立てて以て道と為す。豈に己の為にして之を設けんや。学者其れ之を思へ。
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『弁名』學仁斎先生に至りては、乃ち公然と抗言して曰く、「三代の時、教法未だ立たず、学問未だ闢けず。直に孔子に至りて、始めて斬新に開闢す。猶ほ日月の天に麗きて万古墜ちざるがごとし。故に三代以前の書は、当に三代以前の説を以て之を求むべし。孔孟の書は、当に孔孟の旨を以て之を解すべし」と。果して其の説の是ならんか、孔子の苦心して訪求する所の者は、乃ち無用の長物と為りて、門人・孟子の功、反って孔子より大ならん。豈に妄説の甚だしきに非ずや。故に諸を先王の教法に本づかずして、別に学問の方を立つる者は、皆孔子の旨に非ず。学者其れ諸を思へ。
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『弁名』天命帝鬼神鬼神の徳は、中庸は誠を以て之を言ひ、左伝は聡明正直を以て之を言ふ。其の言殊なりと雖も、其の義は一なり。皆其の思慮勉強の心無きを謂ふなり。天地は思慮勉強の心無し。故に必ず聖人の参賛を待ちて、而る後に天地位し万物育す。鬼神は思慮勉強の心無し。故に必ず聖人の之が礼を為し之が極を立つるを待ちて、而る後に游魂変を為さず。
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