導師導古典を学びたいすべての人に

弁名 / 天命帝鬼神

是雖言鬼神。然易亦有之。大傳又曰。乾陽物也。坤陰物也。六十二卦。孰非陰陽。聖人特立之物曰乾坤天地位而造化行。乾坤立而易道行。乾坤毀。則無以見易。鬼神之道亦然。故傳曰。明命鬼神。以爲黔首則。聖人之立其物也。是敎之術也。故知易則知鬼神之情狀也。聖人能知鬼神之情狀。故立幽明生死之禮。是又仰以觀天文以下。其義所以相因者爾。京房易有歸魂遊魂之卦。是游魂爲變。亦易有其義。而古來相傳也。後儒不就先王之禮與易以求知鬼神之情狀。而直求諸鬼神。豈能知之哉。多見其不知量也已。

新字:是雖言鬼神。然易亦有之。大伝又曰。乾陽物也。坤陰物也。六十二卦。孰非陰陽。聖人特立之物曰乾坤天地位而造化行。乾坤立而易道行。乾坤毀。則無以見易。鬼神之道亦然。故伝曰。明命鬼神。以為黔首則。聖人之立其物也。是教之術也。故知易則知鬼神之情状也。聖人能知鬼神之情状。故立幽明生死之礼。是又仰以観天文以下。其義所以相因者爾。京房易有帰魂遊魂之卦。是游魂為変。亦易有其義。而古来相伝也。後儒不就先王之礼与易以求知鬼神之情状。而直求諸鬼神。豈能知之哉。多見其不知量也已。

書き下し

是れ鬼神を言ふと雖も、然れども易にも亦た之有り。大伝に又た曰く、「乾は陽物なり。坤は陰物なり」と。六十二卦、孰か陰陽に非ざらん。聖人特に之が物を立てて乾坤と曰ふ。天地位して造化行はれ、乾坤立ちて易道行はる。乾坤毀るれば、則ち以て易を見る無し。鬼神の道も亦た然り。故に伝に曰く、「鬼神を明命して、以て黔首の則と為す」と。聖人の其の物を立つるなり。是れ教への術なり。故に易を知れば則ち鬼神の情状を知るなり。聖人能く鬼神の情状を知る、故に幽明生死の礼を立つ。是れ又た仰ぎて以て天文を観る以下、其の義の相因る所以の者のみ。京房の易に帰魂・遊魂の卦有り。是れ游魂変を為すも、亦た易に其の義有りて、古来相伝ふるなり。後儒は先王の礼と易とに就きて以て鬼神の情状を知るを求めずして、直ちに諸を鬼神に求む。豈に能く之を知らんや。多に其の量を知らざるを見るのみ。

現代語訳

これは鬼神について言ったものだが、易にも同じことがある。繋辞伝にはまた「乾は陽の物であり、坤は陰の物である」とある。六十二卦のどれが陰陽でないことがあろうか。聖人は特に物を立てて乾坤と名づけたのである。天地が定まって造化が行われ、乾坤が立って易の道が行われる。乾坤が壊れれば、易を見ることはできない。鬼神の道もまた同じである。だから伝に「鬼神をはっきりと名づけ定めて、民の手本とする」という。聖人がその物を立てたのであり、これは教えの術である。だから易を知れば鬼神の情状がわかる。聖人は鬼神の情状を知ることができたから、幽明生死の礼を立てた。これがまた「仰いで天文を観る」以下の三句の意味が互いにつながっている理由である。京房の易には帰魂・遊魂の卦がある。これは「遊魂が変化をなす」ということも易にその意味があって、古来伝わってきたものだということである。後世の儒者は、先王の礼と易によって鬼神の情状を知ろうとせず、直接鬼神そのものに求めた。どうして知ることができようか。まったく身のほどを知らないことである。

解説

長い則の締めくくりで、徂徠は鬼神と易の構造が同じだと示す。六十四卦はどれも陰陽だが、聖人は特に乾坤を「物」として立てたことで易の道が行われる。同じように、鬼神も聖人が名と形を立てることで民の拠り所となる。これが「教への術」である。後儒は先王の礼と易を通さずに鬼神そのものを直接知ろうとしたが、それは身のほど知らずだと結ぶ。対象を直接つかもうとするより、先人が整えた枠組みを通して理解する方が確かだという姿勢は、新しい分野を学ぶときの心得にもなるだろう。

この章句が説くこと

鬼神易乾坤教え礼聖人

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る