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弁名 / 天命帝鬼神

精氣爲物。游魂爲變者。卽所謂幽明之故。死生之說也。鬼神之情狀。祭則聚。聚則可見。不祭則散。散則不可見。不可見則幾乎亡矣。精氣爲物。謂聚若有物也。游魂爲變。謂魂氣游行爲厲也。立之壇墠。立之宗廟。祭祀以奉之。儼然如在。是謂爲物。然其祭之也。曰迎之。曰送之。曰於彼乎。於此乎。是豈必其在于此哉。亦聖人立其物耳。

新字:精気為物。游魂為変者。即所謂幽明之故。死生之説也。鬼神之情状。祭則聚。聚則可見。不祭則散。散則不可見。不可見則幾乎亡矣。精気為物。謂聚若有物也。游魂為変。謂魂気游行為厲也。立之壇墠。立之宗廟。祭祀以奉之。儼然如在。是謂為物。然其祭之也。曰迎之。曰送之。曰於彼乎。於此乎。是豈必其在于此哉。亦聖人立其物耳。

書き下し

「精気は物と為り、游魂は変を為す」とは、即ち所謂幽明の故、死生の説なり。鬼神の情状は、祭れば則ち聚まる。聚まれば則ち見るべし。祭らざれば則ち散ず。散ずれば則ち見るべからず。見るべからざれば則ち亡きに幾し。精気物と為るとは、聚まりて物有るが若きを謂ふなり。游魂変を為すとは、魂気游行して厲を為すを謂ふなり。之に壇墠を立て、之に宗廟を立て、祭祀して以て之を奉ずれば、儼然として在すが如し。是を物と為すと謂ふ。然れども其の之を祭るや、之を迎ふと曰ひ、之を送ると曰ひ、「彼に於てか、此に於てか」と曰ふ。是れ豈に必ずしも其れ此に在らんや。亦た聖人其の物を立つるのみ。

現代語訳

「精気は物となり、遊魂は変化をなす」とは、先の「幽明の故」「死生の説」のことである。鬼神の情状とは、祭れば集まり、集まれば見ることができる。祭らなければ散り、散れば見ることができない。見ることができなければ、ほとんど無いのと同じである。「精気が物となる」とは、集まって物があるかのようになることをいう。「遊魂が変化をなす」とは、魂がさまよい歩いて祟りをなすことをいう。祭壇を立て、宗廟を立て、祭祀して奉れば、厳かにそこにいるかのようになる。これを「物となる」という。しかし祭るときには、迎えるといい、送るといい、「あちらにおられるのか、こちらにおられるのか」という。これがどうして必ずここにいるということであろうか。これも聖人がその物を立てたのである。

解説

「精気は物と為り、游魂は変を為す」を、徂徠は祭祀の言葉として読み解く。鬼神は祭れば集まって見えるようになり、祭らなければ散って無いに等しくなる。祀られない魂はさまよって祟りをなす。そこで聖人は壇や宗廟を立てて祭り、鬼神を「物」としてそこにあらしめた。とはいえ迎え送りの儀があるように、常にそこにいると断言するのではない。目に見えないものに形を与えて人の心を集めるのが聖人の工夫である。組織の理念も、式典や場といった具体的な形を与えて初めて、人の間に存在するものになるのである。

この章句が説くこと

鬼神祭祀宗廟精気礼聖人

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