弁名 / 天命帝鬼神
原始反終者。亦易道爲然。始則終。終則始。循環無端。易者所以知來也。故原其始。以反之於其終。故知來。學者苟能原人之始。以反之於其終。則知幽明之禮之說也。死生幽明。互其文耳。說猶云禘之說。故亦謂禮之說也。夫人受天地之中以生。詩曰。天生烝民。是也。故聖人作事鬼之禮。亦原始以反之於終而歸諸天故詩曰。文王陟降。在帝左右。人死復。則升于屋。祭有降神。凡傳謂某神降於某者。皆在天之辭也。
新字:原始反終者。亦易道為然。始則終。終則始。循環無端。易者所以知来也。故原其始。以反之於其終。故知来。学者苟能原人之始。以反之於其終。則知幽明之礼之説也。死生幽明。互其文耳。説猶云禘之説。故亦謂礼之説也。夫人受天地之中以生。詩曰。天生烝民。是也。故聖人作事鬼之礼。亦原始以反之於終而帰諸天故詩曰。文王陟降。在帝左右。人死復。則升于屋。祭有降神。凡伝謂某神降於某者。皆在天之辞也。
書き下し
始を原ね終に反るとは、亦た易道の然りと為す。始まれば則ち終り、終れば則ち始まる。循環して端無し。易は来を知る所以なり。故に其の始を原ねて、以て之を其の終に反す。故に来を知る。学者苟も能く人の始を原ねて、以て之を其の終に反せば、則ち幽明の礼の説を知るなり。死生と幽明とは、其の文を互にするのみ。説は猶ほ「禘の説」と云ふがごとし。故に亦た礼の説を謂ふなり。夫れ人は天地の中を受けて以て生ず。詩に曰く、「天、烝民を生ず」と。是れなり。故に聖人、鬼に事ふるの礼を作るも、亦た始を原ねて以て之を終に反して、諸を天に帰す。故に詩に曰く、「文王陟降して、帝の左右に在り」と。人死すれば復す、則ち屋に升る。祭に降神有り。凡そ伝に某神某に降ると謂ふ者は、皆天に在るの辞なり。
現代語訳
「始めをたずね終わりに返る」というのも、易の道がそうなのである。始まれば終わり、終われば始まり、循環して端がない。易は未来を知るためのものである。だからその始めをたずねて、それを終わりに返す。それで未来を知る。学ぶ者が人の始めをたずねて、それを終わりに返すことができれば、幽明の礼の説がわかる。「死生」と「幽明」とは、文を入れ替えて言っただけである。「説」とは「禘(祖先の大祭)の説」というのと同じで、やはり礼の説をいう。そもそも人は天地の中正な気を受けて生まれる。『詩経』に「天が多くの民を生んだ」とあるのがそれである。だから聖人が鬼(死者)に仕える礼を作ったのも、始めをたずねて終わりに返し、天に帰したのである。そこで『詩経』に「文王は天に昇り降りして、上帝の左右にいる」という。人が死ぬと魂を呼び戻す礼として、屋根に上る。祭りには神を降ろす儀がある。およそ伝に、ある神がどこそこに降ったとあるのは、みな神が天にいることを言う言葉である。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』禮書に曰く、「天秩に礼有り」と。是れ堯舜の礼を制する、天道を奉じて以て之を行ふ、其の教を神にする所以なり。三代の天子の如きも、一政を出だし、一事を興すに、亦た皆祖宗を祀りて之を天に配し、天と祖宗との命を以て之を出だし、卜筮を以て之を行ふ。古の道爲り爾り。後儒其の意を識らずして、以為へらく天とは自然なりと。自然に是の礼有りと謂ふなり。是れ其の天理節文の本づく所なり。殊に知らず、天を以て自然と為すは老荘の意にして、古に無き所なるを。若し果して礼をして自然に之有らしめば、則ち三代の其の礼を殊にするが如き、其れ之を何とか謂はん。故に其の究め、天理を以て精微と為し、礼を以て粗迹と為さざるを得ず。苟も其の精微を得れば、則ち其の粗迹の若きは、之を左にするも亦た可なり、之を右にするも亦た可なり。
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