弁名 / 天命帝鬼神
凡言鬼神者。莫善於易焉。其言曰。仰以觀於天文。俯以察於地理。是故知幽明之故。原始反終。故知死生之說精氣爲物。游魂爲變。是故知鬼神之情狀。是三者皆賛易之言也。人皆知其言鬼神。而不知賛易。乃舍易爲之解。故失其義已。蓋易者。伏義仰觀俯察以作之。前無所因。直取諸天地。是在禮樂未作之先也。幽明之故者。謂鬼神與人之禮也。不曰禮而曰故。猶故實之故。謂上世相傳者也。堯舜未制禮之前。蓋已有其故。堯舜亦因之制作耳。學者苟明易。則知所以制作之意。取諸天地。故曰知幽明之故。宋儒乃謂知人與鬼神所以然之理者。非也。
新字:凡言鬼神者。莫善於易焉。其言曰。仰以観於天文。俯以察於地理。是故知幽明之故。原始反終。故知死生之説精気為物。游魂為変。是故知鬼神之情状。是三者皆賛易之言也。人皆知其言鬼神。而不知賛易。乃舎易為之解。故失其義已。蓋易者。伏義仰観俯察以作之。前無所因。直取諸天地。是在礼楽未作之先也。幽明之故者。謂鬼神与人之礼也。不曰礼而曰故。猶故実之故。謂上世相伝者也。堯舜未制礼之前。蓋已有其故。堯舜亦因之制作耳。学者苟明易。則知所以制作之意。取諸天地。故曰知幽明之故。宋儒乃謂知人与鬼神所以然之理者。非也。
書き下し
凡そ鬼神を言ふ者は、易より善きは莫し。其の言に曰く、「仰いで以て天文を観、俯して以て地理を察す。是の故に幽明の故を知る。始を原ね終に反る、故に死生の説を知る。精気は物と為り、游魂は変を為す。是の故に鬼神の情状を知る」と。是の三者は皆易を賛するの言なり。人皆其の鬼神を言ふを知りて、易を賛するを知らず。乃ち易を舎てて之が解を為す。故に其の義を失ふのみ。蓋し易は、伏羲仰観俯察して以て之を作る。前に因る所無く、直ちに諸を天地に取る。是れ礼楽未だ作らざるの先に在るなり。幽明の故とは、鬼神と人との礼を謂ふなり。礼と曰はずして故と曰ふは、猶ほ故実の故のごとし。上世相伝ふる者を謂ふなり。堯舜未だ礼を制せざるの前、蓋し已に其の故有り。堯舜も亦た之に因りて制作するのみ。学者苟も易を明らかにすれば、則ち制作する所以の意、諸を天地に取るを知る。故に「幽明の故を知る」と曰ふ。宋儒乃ち人と鬼神との然る所以の理を知ると謂ふ者は、非なり。
現代語訳
およそ鬼神について語ったもので、易に勝るものはない。繋辞伝に「仰いで天の文様を観、俯して地の筋目を察する。だから幽明の故を知る。始めをたずね終わりに返る。だから死生の説を知る。精気は物となり、遊魂は変化をなす。だから鬼神の情状を知る」とある。この三つはみな易を讃えた言葉である。人はみなこれが鬼神を言っていることは知っているが、易を讃えていることを知らない。そこで易を離れて解釈するから、その意味を失うのである。思うに易は、伏羲が仰いで観、俯して察して作ったもので、前に拠るものはなく、直接天地から取った。これは礼楽がまだ作られる前のことである。「幽明の故」とは、鬼神と人との礼をいう。礼と言わずに「故」と言うのは、故実の故と同じで、上古から伝わってきたものをいう。堯・舜がまだ礼を制定する前に、すでにその故(しきたり)があった。堯・舜もそれに基づいて制作したにすぎない。学ぶ者が易を明らかにすれば、制作の意図が天地から取られていることがわかる。だから「幽明の故を知る」というのである。宋儒が、人と鬼神とがそうある理由の理を知ることだとしたのは誤りである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
-
論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
-
論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
-
論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る