弁名 / 天命帝鬼神
仁齋先生曰。凡天地山川宗廟五祀之神。及一切有神靈能爲禍福者。皆謂之鬼神也。得之。祇沿宋儒之謬。而不能正鬼神之名。非也。又曰。今之學者以風雨霜露日月晝夜爲鬼神者誤矣。亦得之。然是皆神之所爲也。故傳曰。神氣風霆。說卦曰。神也者妙萬物而爲言者也。下文遂言雷風火澤水艮。可以見已。
新字:仁斎先生曰。凡天地山川宗廟五祀之神。及一切有神霊能為禍福者。皆謂之鬼神也。得之。祇沿宋儒之謬。而不能正鬼神之名。非也。又曰。今之学者以風雨霜露日月昼夜為鬼神者誤矣。亦得之。然是皆神之所為也。故伝曰。神気風霆。説卦曰。神也者妙万物而為言者也。下文遂言雷風火沢水艮。可以見已。
書き下し
仁斎先生曰く、「凡そ天地・山川・宗廟・五祀の神、及び一切の神霊有りて能く禍福を為す者は、皆之を鬼神と謂ふなり」と。之を得たり。祇だ宋儒の謬りに沿ひて、鬼神の名を正す能はざるは、非なり。又た曰く、「今の学者、風雨霜露日月昼夜を以て鬼神と為す者は誤れり」と。亦た之を得たり。然れども是れ皆神の為す所なり。故に伝に曰く、「神気は風霆なり」と。説卦に曰く、「神なる者は万物に妙にして言を為す者なり」と。下文に遂に雷風火沢水艮を言ふ、以て見るべきのみ。
現代語訳
仁斎先生は「およそ天地・山川・宗廟・五祀(家の五つの祭り)の神、および神霊があって禍福をもたらすものは、みな鬼神という」と言う。これは正しい。ただ宋儒の誤りに従って、鬼神という名を正しく定められなかったのは誤りである。また先生は「今の学者が風雨・霜露・日月・昼夜を鬼神とするのは誤りだ」と言う。これも正しい。しかしこれらはみな神のなすところである。だから伝に「神の気は風や雷となる」とあり、説卦伝に「神とは万物を妙にはたらかせるものを言う」とあって、その下の文で雷・風・火・沢・水・山を言っている。これを見ればわかる。
解説
この章句が説くこと
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