弁名 / 天命帝鬼神
仁齋先生曰。何謂知命。安而已矣。何謂安。不疑而已矣。本非有聲色臭味之可言。蓋無一毫之不盡。處之泰然。蹈之坦然。不貳不惑。方謂之安。方謂之知。豈見聞之知哉。伊川云。知命者。知有命而信之也。此視知字太淺。所謂知命者。處乎死生存亡窮通榮辱之際。泰然坦然。煙銷氷釋無一毫動心。而後謂之知命。所謂知有命而信之。是不待君子而能知之。是仁齋先生得意之言也。
新字:仁斎先生曰。何謂知命。安而已矣。何謂安。不疑而已矣。本非有声色臭味之可言。蓋無一毫之不尽。処之泰然。蹈之坦然。不貳不惑。方謂之安。方謂之知。豈見聞之知哉。伊川云。知命者。知有命而信之也。此視知字太浅。所謂知命者。処乎死生存亡窮通栄辱之際。泰然坦然。煙銷氷釈無一毫動心。而後謂之知命。所謂知有命而信之。是不待君子而能知之。是仁斎先生得意之言也。
書き下し
仁斎先生曰く、「何をか命を知ると謂ふ。安んずるのみ。何をか安んずと謂ふ。疑はざるのみ。本と声色臭味の言ふべき有るに非ず。蓋し一毫の尽くさざる無く、之に処ること泰然、之を蹈むこと坦然、弐はず惑はず、方に之を安と謂ひ、方に之を知と謂ふ。豈に見聞の知ならんや。伊川云ふ、『命を知るとは、命有るを知りて之を信ずるなり』と。此れ知の字を視ること太だ浅し。所謂命を知るとは、死生存亡窮通栄辱の際に処りて、泰然坦然、煙銷え氷釈けて一毫の動心無く、而る後に之を命を知ると謂ふ。所謂命有るを知りて之を信ずるは、是れ君子を待たずして能く之を知る」と。是れ仁斎先生得意の言なり。
現代語訳
仁斎先生は言う。「命を知るとは何か。安んじることである。安んじるとは何か。疑わないことである。もともと声や色や匂いや味のように言い表せるものではない。少しも尽くさないところがなく、それに処しては泰然とし、それを踏んでは平然とし、心が二つに分かれず迷わない、それでこそ安といい、知というのである。見聞による知などではない。程伊川は『命を知るとは、命があることを知ってそれを信じることだ』と言うが、これは『知』の字をあまりに浅く見ている。命を知るとは、生死・存亡・窮達・栄辱の境目にあって、泰然平然として、煙が消え氷が解けるように少しも心が動かなくなって、はじめて命を知るというのである。命があることを知って信じるというだけなら、君子でなくても知ることができる」。これは仁斎先生の得意の言葉である。
解説
この章句が説くこと
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