酔古堂剣掃 / 集醒・遇に隨ひて安んず
人言天不禁人富貴,而禁人清閒,人自不閒耳。若能隨遇而安,不圖將來,不追既往,不蔽目前,何不清閒之有。
新字:人言天不禁人富貴,而禁人清閒,人自不閒耳。若能随遇而安,不図将来,不追既往,不蔽目前,何不清閒之有。
書き下し
人言ふ、天は人の富貴を禁ぜずして、人の清閒を禁ずと。人自ら閒ならざるのみ。若し能く遇に隨ひて安んじ、將來を圖らず、既往を追はず、目前に蔽はれずんば、何の清閒か之れ有らざらん。
現代語訳
人は、天は人が富貴になることは禁じないが、人が清らかにのんびりすることは禁じている、と言います。しかし実は、人が自分でのんびりしないだけなのです。もし境遇に従って心を安らかにし、先のことをあれこれ計らず、過ぎたことを追わず、目の前のことに目を曇らされなければ、どうして清らかなゆとりが得られないことがあるでしょうか。
解説
ゆとりのない暮らしを天のせいにせず、自分の心がけの問題だと説く一則です。富貴は努力や運で手に入るのに、清閑、つまり清らかなゆとりはなかなか得られないと、人は嘆きます。しかしそれは、人が自分で閑を作らないだけだと言います。そのうえで、随遇而安、不図将来、不追既往、不蔽目前という四つの心がけを示します。境遇に安んじること、未来を思い煩わないこと、過去を悔やまないこと、目先のことに振り回されないことです。私たちの心がいつも忙しいのは、実際の用事よりも、未来の心配や過去の後悔で頭がいっぱいだからかもしれません。今この時に心を置くことが、ゆとりへの近道なのでしょう。
この章句が説くこと
閑適安心知足処世心境
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