酔古堂剣掃 / 集醒・身に樂有るは心に憂無きに若かず
有譽於前,不若無毀於後;有樂於身,不若無憂於心。
新字:有誉於前,不若無毀於後;有楽於身,不若無憂於心。
書き下し
前に譽有るは、後に毀無きに若かず。身に樂有るは、心に憂無きに若かず。
現代語訳
面と向かって褒められるよりは、陰で悪口を言われないほうがよいのです。体に楽しみがあるよりは、心に憂いがないほうがよいのです。
解説
目に見える評価や楽しみより、見えないところの平穏を重んじた対句です。前の句は、この集醒の初めのほうにある、面前の誉れより背後の毀りの無いほうがよいという句とよく似ています。人前での賛辞は礼儀や打算でも得られますが、陰での評判はその人の本当の姿を映します。後の句は、体の楽しみ、つまり美食や遊興よりも、心に憂いがないことのほうが大切だと言います。いくら体が快適でも、心に心配ごとがあれば少しも楽しめません。逆に、質素な暮らしでも心が晴れていれば、毎日は満ち足りたものになります。外から見える華やかさより、内なる安らかさを大切にしたいものです。
この章句が説くこと
安心交友知足処世心身
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