無門関 / 第四十一則 達磨安心
達磨面壁。二祖立雪斷臂云。弟子心未安。乞師安心。磨云。將心來。與汝安。祖云。覓心了不可得。磨云。為汝安心竟。
新字:達磨面壁。二祖立雪断臂云。弟子心未安。乞師安心。磨云。将心来。与汝安。祖云。覓心了不可得。磨云。為汝安心竟。
書き下し
達磨面壁す。二祖雪に立ち臂を斷ちて云く、「弟子心未だ安からず。乞ふ師心を安んぜよ」。磨云く、「心を將(も)ち來れ。汝が與に安んぜん」。祖云く、「心を覓(もと)むるに了(つひ)に不可得なり」。磨云く、「汝が與に心を安んじ竟(をは)れり」。
現代語訳
達磨が壁に向かって坐っていた。二祖慧可は雪の中に立ち、自らの臂を断って言った。「私の心はまだ安らぎません。どうか心を安んじてください」。達磨「その心を持って来なさい。安んじてやろう」。慧可「心を探しましたが、ついに得られません」。達磨「お前のために心を安んじ終えた」。
解説
安心を求めた者に、達磨は「その心を出せ」と言う。探しても出てこない。出てこないと分かった、それが安心だと言う。無門はここでも茶化す。「歯の欠けた老いぼれ異人が、十万里の海を渡ってわざわざ来た。まさに風も無いのに波を起こしたようなものだ」。不安を実体として扱うと、対処のしようがなくなる。掴もうとすれば掴めない。経営者の不安の多くは、名前を付けて取り出そうとした瞬間に形を失う。ただし達磨は「不安は無い」とは言っていない。持って来いと言っただけである。
この章句が説くこと
安心覓心了不可得不安を実体化しない無風起浪
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