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弁名 / 天命帝鬼神

宋儒曰。生死聚散。理爲之主宰。是以知天自負者也。仁齋先生曰。天地之道。有生而無死。有聚而無散死便生之終。散便聚之盡。天地之道一於生故也。是亦以知天自負者也。夫有聚有散者。其說必至於十二元會而極矣。一於生者。其說必至於今日天地卽萬古天地而極矣。是皆喜推己所見以言己所不見。而求人之信己者也。夫孰信之哉。是皆自聖者也。不信古聖人者也。不敬天者也。

新字:宋儒曰。生死聚散。理為之主宰。是以知天自負者也。仁斎先生曰。天地之道。有生而無死。有聚而無散死便生之終。散便聚之尽。天地之道一於生故也。是亦以知天自負者也。夫有聚有散者。其説必至於十二元会而極矣。一於生者。其説必至於今日天地即万古天地而極矣。是皆喜推己所見以言己所不見。而求人之信己者也。夫孰信之哉。是皆自聖者也。不信古聖人者也。不敬天者也。

書き下し

宋儒曰く、「生死聚散は、理之が主宰を為す」と。是れ天を知るを以て自負する者なり。仁斎先生曰く、「天地の道は、生有りて死無く、聚有りて散無し。死は便ち生の終り、散は便ち聚の尽くるなり。天地の道は生に一なるが故なり」と。是れも亦た天を知るを以て自負する者なり。夫れ聚有り散有りとする者は、其の説必ず十二元会に至りて極まる。生に一なりとする者は、其の説必ず今日の天地即ち万古の天地なりといふに至りて極まる。是れ皆己の見る所を推して以て己の見ざる所を言ひ、而して人の己を信ぜんことを求むる者なり。夫れ孰か之を信ぜんや。是れ皆自ら聖とする者なり。古聖人を信ぜざる者なり。天を敬せざる者なり。

現代語訳

宋儒は「生と死、集まりと散りは、理がそれを主宰している」と言う。これは天を知っていると自負するものである。仁斎先生は「天地の道には生があって死はなく、聚(集まり)があって散はない。死とは生の終わり、散とは聚が尽きたものにすぎない。天地の道は生の一つだからである」と言う。これもまた天を知っていると自負するものである。集まりも散りもあるとする説は、必ず(邵雍の)十二元会の宇宙周期説に行き着く。生の一つだとする説は、必ず今日の天地はそのまま万古の天地だという説に行き着く。どちらも自分の見たところを推し広げて、自分の見ていないことを語り、人に自分を信じさせようとするものである。いったい誰が信じるだろうか。これらはみな自分を聖人とするもの、古の聖人を信じないもの、天を敬わないものである。

解説

宋儒は生死聚散を理が主宰すると言い、仁斎は天地の道は生のみで死はないと言った。徂徠は両者を、自分の見たものを推し広げて見えないものまで語る点で同じだと断じる。前者は宇宙の周期論に、後者は天地は永遠に変わらないという断言に行き着くが、どちらも誰にも確かめようがない。それを人に信じさせようとするのは、自らを聖人の位置に置くことだという。身近な経験を宇宙全体の法則にまで広げてしまうのは、今も起こりがちな誤りである。自分の成功体験を普遍の法則と思い込むことを戒めたい。

この章句が説くこと

天生死伊藤仁斎宋儒自負敬天

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