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弁名 / 元亨利貞

亨者。謂其道盛行。無所擁閼也。元亨者。大者之道行也。小亨者。小者之道行也。辟如烹物。水火之氣。莫所不達焉。辟如聘享之禮。講信脩睦之道莫所不通焉。亨本聘享之享。借以言其通也。蓋聘享之禮行。而諸侯無不至者焉。通之盛也。後世誤音聘享之享爲食饗之饗。然聘禮有享與饗。音同許兩反。當時將何以別乎。故聘享之享。元亨之亨。皆許庚反。食享之享。乃許兩反。其於文。聘享作亨。則食饗作享。聘享作享。則食饗作饗。聘享唯獻壁馬。食饗則宴。故易曰。公用亨于天子。王用亨于西山。皆作亨。可以見已。

新字:亨者。謂其道盛行。無所擁閼也。元亨者。大者之道行也。小亨者。小者之道行也。辟如烹物。水火之気。莫所不達焉。辟如聘享之礼。講信脩睦之道莫所不通焉。亨本聘享之享。借以言其通也。蓋聘享之礼行。而諸侯無不至者焉。通之盛也。後世誤音聘享之享為食饗之饗。然聘礼有享与饗。音同許両反。当時将何以別乎。故聘享之享。元亨之亨。皆許庚反。食享之享。乃許両反。其於文。聘享作亨。則食饗作享。聘享作享。則食饗作饗。聘享唯献壁馬。食饗則宴。故易曰。公用亨于天子。王用亨于西山。皆作亨。可以見已。

書き下し

亨とは、其の道盛んに行はれて、擁閼する所無きを謂ふなり。元亨とは、大なる者の道行はるるなり。小亨とは、小なる者の道行はるるなり。辟へば物を烹るが如し。水火の気、達せざる所莫し。辟へば聘享の礼の如し。信を講じ睦を脩むるの道、通ぜざる所莫し。亨は本と聘享の享、借りて以て其の通を言ふなり。蓋し聘享の礼行はれて、諸侯至らざる者無し。通の盛んなるなり。後世誤りて聘享の享を音して食饗の饗と為す。然れども聘礼に享と饗と有り。音同じく許両の反ならば、当時将た何を以て別たんや。故に聘享の享、元亨の亨は、皆許庚の反。食享の享は、乃ち許両の反。其の文に於いて、聘享を亨に作れば、則ち食饗を享に作る。聘享を享に作れば、則ち食饗を饗に作る。聘享は唯だ璧馬を献じ、食饗は則ち宴す。故に易に曰く、「公用て天子に亨す」「王用て西山に亨す」と。皆亨に作る。以て見るべきのみ。

現代語訳

「亨」とは、その道が盛んに行われて、滞るところがないことをいう。「元亨」とは大いなる者の道が行われること、「小亨」とは小さな者の道が行われることである。たとえば物を煮るとき、水と火の気がすみずみまで行き渡るようなものである。また聘享(諸侯が使いを送り贈り物を献じる礼)のように、信義を講じ親睦を修める道がどこにでも通じるようなものである。亨はもともと聘享の「享」で、それを借りて「通じる」ことを言ったのである。聘享の礼が行われて、諸侯で来ない者がいないのが、通じることの盛んなさまである。後世、誤って聘享の「享」を食饗(饗宴)の「饗」と同じ音で読んだ。しかし聘礼には享と饗の両方がある。音がどちらも許両の反(キョウ)なら、当時どうやって区別しただろうか。だから聘享の享と元亨の亨はどちらも許庚の反(コウ)で、食饗の享が許両の反なのである。文字の上でも、聘享を「亨」と書けば食饗は「享」と書き、聘享を「享」と書けば食饗は「饗」と書く。聘享はただ璧(玉)と馬を献上するだけで、食饗は宴を開く。だから易に「公が天子に亨す」「王が西山に亨す」と、どちらも「亨」と書いている。これを見ればわかる。

解説

「亨」を徂徠は、道が盛んに行われて滞りなく通じることと定め、その語源を諸侯が礼物を献じる聘享の礼に求める。聘享が行われれば諸侯がみな集まる、その往来の盛んさが「亨」だという。さらに音韻と字形の使い分けから、聘享の享と饗宴の饗を区別し、後世の混同を正す。抽象的な徳目としてではなく、礼の実際の場面から語を理解するのが古文辞学の流儀である。組織でいえば「風通しがよい」とは気分の問題ではなく、礼にあたる定期的な往来と贈答の仕組みが働いて、人と情報が行き来している状態なのである。

この章句が説くこと

亨通聘享礼易字義

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