弁名 / 中庸和衷
如周禮六德之和者。德之名也。言人學以成德。有此六德之別也。如柳下惠之和。亦同。皆謂其與物相和順而不忤違也。以爲司空之材者。司空掌水土百工之事。百工皆順金木皮革百物之性以作其器。故非巽順相入。能和物性。則不能掌其事也如曰允執其中者。謂行天子事也。古以執中爲人君之道。故亦稱行天子之事爲執中。不爾。堯曰禹謨。文意皆不協矣。
新字:如周礼六徳之和者。徳之名也。言人学以成徳。有此六徳之別也。如柳下恵之和。亦同。皆謂其与物相和順而不忤違也。以為司空之材者。司空掌水土百工之事。百工皆順金木皮革百物之性以作其器。故非巽順相入。能和物性。則不能掌其事也如曰允執其中者。謂行天子事也。古以執中為人君之道。故亦称行天子之事為執中。不爾。堯曰禹謨。文意皆不協矣。
書き下し
周礼の六徳の和の如きは、徳の名なり。人学びて以て徳を成すに、此の六徳の別有るを言ふなり。柳下恵の和の如きも、亦た同じ。皆其の物と相和順して忤違せざるを謂ふなり。以て司空の材と為す者は、司空は水土百工の事を掌る。百工は皆金木皮革百物の性に順ひて以て其の器を作る。故に巽順相入りて、能く物の性に和するに非ずんば、則ち其の事を掌ること能はざるなり。「允に其の中を執れ」と曰ふが如きは、天子の事を行ふを謂ふなり。古は中を執るを以て人君の道と為す。故に亦た天子の事を行ふを称して中を執ると為す。爾らずんば、堯曰・禹謨、文意皆協はず。
現代語訳
周礼の六徳の「和」などは、徳の名である。人が学んで徳を成すと、このような六徳の別があることを言っている。柳下恵の「和」も同じで、どれも物事と和順して逆らわないことをいう。(和の徳ある人を)司空の人材とするのは、司空は治水・土木と諸職人の仕事をつかさどり、職人はみな金・木・皮革などあらゆる素材の性質に従ってその器を作るからである。だから素直に従って入り込み、物の性質に和することができなければ、その仕事をつかさどることはできない。「まことにその中を執れ」というのは、天子の事を行うことをいう。古くは中を執ることを君主の道とした。だから天子の事を行うことも「中を執る」と称した。そうでなければ、論語の堯曰篇も書経の大禹謨も、文意がみな合わなくなる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』中庸和衷中和は礼楽の徳なり。周礼に「礼を以て中を教へ、楽を以て和を教ふ」と。和は和順の謂なり。先王の礼を制する、賢者をして俯して之に就き、不肖をして企てて之に及ばしむ。是れ中なり。其の楽を制する、八音五声、相和して以て相済すこと、猶ほ五味の和のごとし。以て人の徳を養ひ、以て天地の和気を感召す。亦た人情の悦ぶ所に率ひて、和順して以て之を導き、以て天下の人をして、道徳に和順して以て其の俗を成さしむ。是れ和なり。周礼に又た楽の六徳有り、孝・友・祇・庸・中・和。是れ楽も復た兼ねて中和有り。蓋し八音五声、相和し相済せば、則ち自然に過不及の病無きなり。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事此の事を君子は和して同せす、小人は同して和せすと孔子も宣へり、和すると云ふは五味を調和するか如し、五味の塩梅と云ふは格別の塩梅を持ち行て交せ合はすることなり、故に臣下には君と才智の筋各別なるを善とす、君何ほと才智ありても、人の才智は一向きに得手なる所ありて、又た不得手なる所あるものなり、聖人とても斯の如き故に、各別に違ひたる才智の臣をいくらも寄せされは君の才智の足らぬ所を補ふへきやうなし、同すると云ふは譬へはふくさみ其の甘きに砂糖を入れ、其上に又蜜をも入れ、又飴をも入れたるか如し、是君の心に合はせて物好きの少しも違はぬを云ふなり、論語の此の章は朱子の注解は大に相違したり、左伝の本文に此の訳精しくあるなり、
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『弁名』聖周礼の六徳に、智と曰ひ、聖と曰ふ。是れ聖人の徳を岐ちて之を二つにし、以て君子の徳と為すなり。蓋し人の性は同じからず。故に其の智、能く政治の道に通ずる者有り、之に命じて智と曰ふ。能く礼楽鬼神の道に通ずる者有り、之に命じて聖と曰ふ。故に其の所謂聖も、亦た聖人の徳の若きに非ず。曰く、唐虞は九官にして乃ち九徳有り、周は六官にして乃ち六徳有り。徳は性を以て殊なり、徳成りて之を官にす。故に虞・周の官制の異なるは、其の徳を立つる所以の同じからざればなり。
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『徂徠先生答問書』卷中一経済の儀何角と御穿鑿被仰聞候。但法と人との差別御勘弁被成候哉無心元存候。成程被仰下候ごとく、法もよき法有之候。とくと不仕法も有之候。依之法の吟味もなくて不叶事に候得共、経済を談候人、多くは只仕形の善悪計を吟味仕候は、道を不存候過にて候。苟非其人道不虚行と申事有之候。法よりは人猶肝要にて御座候。たとひ法は悪敷候共、人能候へば相応の利益は有之物に候。法計の吟味仕候て人悪鋪候へば何の用にも立不申候。又人に随て法は違候物に候。法は先王の法ほど吟味つまり候事は無之候へども、王莽王安石が周礼は毒を天下に流し申候。経済の法計を御穿鑿被成候て、人の僉議無之候は、白人医者の名方を集め候類にて候。
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『弁名』義古は未だ義を以て徳の名と為す者有らず。唯だ周礼の六徳に之有り。蓋し大司馬の材を以て之を言ふなり。大司馬は賞罰・黜陟・軍旅・田猟の事を掌る。而して賞罰黜陟は、義に当たるを以て貴しと為す。軍旅田猟は、皆当を急遽の際に取る。故に先王の義に熟し、変に応じて謬らざる者に非ずんば能はざるのみ。然れども是れ士君子の本業にして、凡そ仕ふる者皆然り。故に它書以て徳と為す者有ること莫きなり。義士と曰ひ、義人と曰ふが如きは、皆其の為す所の義に合ふを以て、遂に其の人を賛して言ふなり。皆一事を以て之を言ふ。其の実は以て徳の名と為すに非ざるなり。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事偖又人を知るに筋きつかけのありと云ふ事は、大概癖のある人にすぐれたる人あるものなり、癖のある人か皆すくれたる人なりと云ふにはあらす、一癖ある者にすくれたる人多きもの也、是によりて魂に一癖ありとて名将の左様の人を賞翫したること多きなり、聖賢の書には是を器と云ふ、器と云ふものは譬へは鎗は突くわざばかりにて切るわざなし、刀は切わざばかりにて突わざ疎し、錐は尖でさいづちの役ならす、さいづちは鈍くして錐の役ならす、惣してはものは鞘に入れて置かされは怪我をする大なる癖あり、是れ皆器なり、されとも其わさを能く取る、何れも使ふて見されは知らぬもの也、只見れは其のかたわなる所ばかりが目にかゝる是れ癖也、左れは癖のあるものにあらざれは器と云ふものにあらす、器と云ふものにあらされは役にたゝぬものなり、人も其の如し、故に人の才能智恵の面々に変りあることを器と云ふ、人々器量と云ふも比文なり、是人の才智様々各別なる故、之を使ふて用に立つること右に云ひたる和而不同と云ふ道理に叶ふことなり、
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