弁名 / 中庸和衷
謂之天下之大本者。乃謂聖之建道。乃率人有是性而立之。天下萬事莫不本焉已。發而皆中節者。謂禮樂之敎。以養人之德。故能使喜怒哀樂之發皆中節。而以見先王之道與人性相和順不悖已。故曰和也者天下之達道也。卽率性之謂道意。非謂喜怒哀樂中節爲和也。宋儒昧乎古言。又不知古之道。故其解皆誤矣。學者察諸。
新字:謂之天下之大本者。乃謂聖之建道。乃率人有是性而立之。天下万事莫不本焉已。発而皆中節者。謂礼楽之教。以養人之徳。故能使喜怒哀楽之発皆中節。而以見先王之道与人性相和順不悖已。故曰和也者天下之達道也。即率性之謂道意。非謂喜怒哀楽中節為和也。宋儒昧乎古言。又不知古之道。故其解皆誤矣。学者察諸。
書き下し
之を天下の大本と謂ふ者は、乃ち聖の道を建つる、乃ち人の是の性有るに率ひて之を立て、天下の万事焉に本づかざるは莫きを謂ふのみ。「発して皆節に中る」とは、礼楽の教へ、以て人の徳を養ふ、故に能く喜怒哀楽の発をして皆節に中らしむるを謂ひて、以て先王の道の人性と相和順して悖らざるを見すのみ。故に「和は天下の達道なり」と曰ふ。即ち「性に率ふ之を道と謂ふ」の意なり。喜怒哀楽の節に中るを和と為すを謂ふに非ざるなり。宋儒は古言に昧く、又た古の道を知らず、故に其の解皆誤れり。学者諸を察せよ。
現代語訳
これを「天下の大本」というのは、聖人が道を建てるとき、人にこの性があることに従って道を立てたので、天下の万事がこれに基づかないものはない、ということにすぎない。「発してみな節度にかなう」とは、礼楽の教えが人の徳を養うので、喜怒哀楽の発するところをみな節度にかなわせることができるということで、それによって先王の道が人の性と和順して背かないことを示したにすぎない。だから「和は天下の達道(どこにでも通じる道)である」という。つまり「性に従うことを道という」の意味である。喜怒哀楽が節度にかなうこと自体を和としているのではない。宋儒は古い言葉に暗く、また古の道を知らないので、その解釈はみな誤っている。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
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