弁名 / 中庸和衷
然先王之所以爲中者。亦非以己所見。故建夫不偏不倚無過不及精微之理。以强天下之民使從我所好也。亦非建斯極而使學者由是以求夫不偏不倚無過不及精微之理也。唯其以安天下爲心。故建斯中以爲極。使天下之人皆由此以行。然後天下可得而統一不亂耳。故先王之所建。莫非不甚高而人皆可勉强行之者焉。賢知者俯而就之。愚不肖者企而及之。是所謂中也。辟如建都。建諸東則西諸侯弗之便。建諸西則東諸侯弗之便。唯建諸中土。而後天下諸侯道路均矣。道路雖均矣。豈能一一均哉。雖不一一均矣。然亦不甚相遠。而人皆可勉强以至焉。故先王之道雖不遠人。而不可以不勉强者。中之謂也。
新字:然先王之所以為中者。亦非以己所見。故建夫不偏不倚無過不及精微之理。以強天下之民使従我所好也。亦非建斯極而使学者由是以求夫不偏不倚無過不及精微之理也。唯其以安天下為心。故建斯中以為極。使天下之人皆由此以行。然後天下可得而統一不乱耳。故先王之所建。莫非不甚高而人皆可勉強行之者焉。賢知者俯而就之。愚不肖者企而及之。是所謂中也。辟如建都。建諸東則西諸侯弗之便。建諸西則東諸侯弗之便。唯建諸中土。而後天下諸侯道路均矣。道路雖均矣。豈能一一均哉。雖不一一均矣。然亦不甚相遠。而人皆可勉強以至焉。故先王之道雖不遠人。而不可以不勉強者。中之謂也。
書き下し
然れども先王の中を為す所以の者は、亦た己の見る所を以て、故に夫の不偏不倚・無過不及・精微の理を建てて、以て天下の民を強ひて我が好む所に従はしむるに非ざるなり。亦た斯の極を建てて学者をして是に由りて以て夫の不偏不倚・無過不及・精微の理を求めしむるに非ざるなり。唯だ其の天下を安んずるを以て心と為す。故に斯の中を建てて以て極と為し、天下の人をして皆此に由りて以て行はしむ。然る後に天下得て統一して乱れざるべきのみ。故に先王の建つる所は、甚だ高からずして人皆勉強して之を行ふべき者に非ざるは莫し。賢知なる者は俯して之に就き、愚不肖なる者は企てて之に及ぶ。是れ所謂中なり。辟へば都を建つるが如し。諸を東に建つれば則ち西の諸侯之を便とせず。諸を西に建つれば則ち東の諸侯之を便とせず。唯だ諸を中土に建てて、而る後に天下の諸侯道路均し。道路均しと雖も、豈に能く一一均しからんや。一一均しからずと雖も、然れども亦た甚だしくは相遠からずして、人皆勉強して以て至るべし。故に先王の道は人に遠からずと雖も、而れども以て勉強せざるべからざる者、中の謂なり。
現代語訳
しかし先王が中とするものは、自分の見方によって、不偏不倚・無過不及の精微な理を立て、天下の民に無理強いして自分の好みに従わせるというものではない。またこの極を建てて、学ぶ者にそれによって不偏不倚・無過不及の精微な理を探求させるというものでもない。ただ天下を安んじることを心としたから、この中を建てて極とし、天下の人がみなこれによって行うようにさせた。そうしてはじめて天下は統一されて乱れなくなるのである。だから先王が建てたものは、どれもそれほど高くなく、人が皆努力すれば行えるものばかりである。賢く知恵ある者は身をかがめてこれに就き、愚かで至らない者はつま先立ちしてこれに及ぶ。これがいわゆる中である。たとえば都を建てるようなものだ。東に建てれば西の諸侯は不便であり、西に建てれば東の諸侯は不便である。ただ国の中央に建ててこそ、天下の諸侯の道のりが均しくなる。道のりが均しいといっても、一人一人まで均しいわけではない。一人一人均しくはないが、それほど隔たってはおらず、皆が努力すれば行き着ける。だから先王の道は人から遠くないけれども、努力しなくてはならないもの、それが中なのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「子は三年の喪を以て非と為す。子の三日の喪も亦た非なり」と。子墨子曰く、「子は三年の喪を以て三日の喪を非とす。是れ猶お倮なる者の蹶く者を恭しからずと謂うがごときなり。
-
『墨子』節葬下故に古の聖王、制して葬埋の法を為りて曰く、「棺は三寸、以て體を朽ちしむるに足る。衣衾は三領、以て惡を覆うに足る。其の葬るに及びてや、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる無く、壟は參耕の畝の若くんば、則ち止むのみ」と。死者、既に以て葬れば、生者、必ず久しく哭する無くして、疾やかにして事に從い、人、其の能くする所を為して、以て交ごも相い利す。此れ聖王の法なり。
-
『墨子』貴義子墨子曰く、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に利ある者は之を為し、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に害ある者は之を舍く。凡そ言、凡そ動、三代の聖王堯・舜・禹・湯・文・武に合う者は之を為し、凡そ言、凡そ動、三代の暴王桀・紂・幽・厲に合う者は之を舍く。
-
『呻吟語』内篇・修身・掌尺提秤底を要す度の長短に於けるや、權の輕重に於けるや、毫髮を爽たがへず。也た個の掌尺提秤底を要す。
-
『墨子』非命中子墨子言いて曰く、凡そ言談を出だし、文章に由りて之れ道を為すや、則ち先ず儀法を立てずんばある可からず。若し言いて儀無くんば、譬えば猶お朝夕を運鈞の上に立つるがごときなり。則ち巧工有りと雖も、必ず正を得る能わず。然れども今、天下の情偽、未だ得て識る可からざるなり。故に言をして三法有らしむ。三法とは何ぞや。之に本づくる者有り、之を原ぬる者有り、之を用うる者有り。其の之に本づくるや、之を天鬼の志、聖王の事に考う。其の之を原ぬるや、徵するに先王の書を以てす。之を用うるは奈何。發して刑と為す。此れ言の三法を言うなり。
-
『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・詰まるところは飼犬に手を噛まるるものあるいはまれに正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る