弁名 / 中庸和衷
祇先王之知大仁至。而其思之深遠。不唯圖安於今。亦必養之成之以俾永安之弗傾也。其所爲道。乃復有若迂遠而不近乎人情。幽眇乎不易識焉者。是聖人之所以爲不可窺測也。後世儒者其智也小。其思也淺。而其操志也銳。是以不能務遵先王之道。以成德於己。成治於民。顧求以言語盡之。其如程朱二先生不偏不倚無過不及以極乎精微之至。仁齋先生唯取易行者爲中。而有所擇乎先王之道者。皆坐是病故也。
新字:祇先王之知大仁至。而其思之深遠。不唯図安於今。亦必養之成之以俾永安之弗傾也。其所為道。乃復有若迂遠而不近乎人情。幽眇乎不易識焉者。是聖人之所以為不可窺測也。後世儒者其智也小。其思也浅。而其操志也鋭。是以不能務遵先王之道。以成徳於己。成治於民。顧求以言語尽之。其如程朱二先生不偏不倚無過不及以極乎精微之至。仁斎先生唯取易行者為中。而有所択乎先王之道者。皆坐是病故也。
書き下し
祇だ先王の知大にして仁至り、而して其の思ひの深遠なる、唯だ安きを今に図るのみならず、亦た必ず之を養ひ之を成して以て永く安くして傾かざらしむ。其の為す所の道は、乃ち復た迂遠にして人情に近からず、幽眇にして識り易からざるが若き者有り。是れ聖人の窺測すべからずと為す所以なり。後世の儒者は其の智や小、其の思ひや浅く、而して其の志を操るや鋭し。是を以て務めて先王の道に遵ひて、以て徳を己に成し、治を民に成すこと能はず。顧つて言語を以て之を尽くさんことを求む。其の程朱二先生の不偏不倚・無過不及以て精微の至りを極むるが如き、仁斎先生の唯だ行ひ易き者を取りて中と為して、先王の道に択ぶ所有る者の如き、皆是の病に坐する故なり。
現代語訳
ただ先王は知が大きく仁が行き届き、その思慮が深く遠いので、今の安定を図るだけでなく、必ず民を養い成長させて、永く安らかで傾かないようにした。だからその作った道には、回りくどくて人情に近くないように見えたり、奥深くて容易にわからなかったりするものがある。これが聖人の測り知れないところである。後世の儒者は知が小さく、思慮が浅いのに、志を貫こうとする気持ちだけは鋭い。そのため先王の道に努めて従って、自分に徳を成し、民に治世を成すことができず、かえって言葉でそれを言い尽くそうとする。程子・朱子の二先生が不偏不倚・無過不及を精微の極みまで突きつめたのも、仁斎先生がただ行いやすいものだけを中として、先王の道に取捨選択を加えたのも、みなこの病によるのである。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』中庸和衷中は過不及無きの謂なり。或いは以て道の名と為し、或いは以て徳の名と為し、或いは以て性の名と為す。「舜其の中を民に用ふ」「湯中を民に建つ」の如き、是れ道の名なり。其の解は君牙に見ゆ。「民心中罔し、惟れ爾の中」と曰ふ。蓋し天下の理は過不及無きを以て其の至りと為す。故に人は賢知と無く愚不肖と無く、惟だ中を是れ求む。生民より以来然りと為す。然れども人其の性を殊にし、見る所性を以て殊なり。人其の居を殊にし、見る所居を以て殊なり。而して中定まらず。天下の乱るる所以なり。是に於いて先王中を建てて以て極と為し、天下の民をして皆此に由りて以て行はしむ。故に極或いは中と訓ず。是れ中なる者は聖人の独り知る所にして、衆人の能く知る所に非ざるなり。凡そ先王の建つる所、礼楽徳義、百爾の制度、是れ皆中なり、是れ皆極なり。
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『弁名』中庸和衷然れども先王の中を為す所以の者は、亦た己の見る所を以て、故に夫の不偏不倚・無過不及・精微の理を建てて、以て天下の民を強ひて我が好む所に従はしむるに非ざるなり。亦た斯の極を建てて学者をして是に由りて以て夫の不偏不倚・無過不及・精微の理を求めしむるに非ざるなり。唯だ其の天下を安んずるを以て心と為す。故に斯の中を建てて以て極と為し、天下の人をして皆此に由りて以て行はしむ。然る後に天下得て統一して乱れざるべきのみ。故に先王の建つる所は、甚だ高からずして人皆勉強して之を行ふべき者に非ざるは莫し。賢知なる者は俯して之に就き、愚不肖なる者は企てて之に及ぶ。是れ所謂中なり。辟へば都を建つるが如し。諸を東に建つれば則ち西の諸侯之を便とせず。諸を西に建つれば則ち東の諸侯之を便とせず。唯だ諸を中土に建てて、而る後に天下の諸侯道路均し。道路均しと雖も、豈に能く一一均しからんや。一一均しからずと雖も、然れども亦た甚だしくは相遠からずして、人皆勉強して以て至るべし。故に先王の道は人に遠からずと雖も、而れども以て勉強せざるべからざる者、中の謂なり。
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『弁名』天命帝鬼神宋儒は当に義を言ふべくして命は道ふに足らずと謂ふ。則ち仁斎先生之を譏る。其の自ら説を為すに至りては、則ち亦た唯だ義を言ふのみ。乃ち其の知命の説を問へば、則ち唯だ不動心を以て之を言ふ。孟子の闢くる所の楊氏の為我なる者、豈に它ならんや。大抵後儒は知を貴び、言を主とす。先王孔子の道は然らず。道を行ひて民に施すを主とす。大抵民の事を為すや、天の知るべからざる者に疑沮す。人情爲れなり。故に卜筮禱請、万古に亘りて廃する能はざる者も、亦た人情爲れなり。聖人は能く人の性を尽くす。故に人の性に率ひて、立てて以て道と為す。豈に己の為にして之を設けんや。学者其れ之を思へ。
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『弁名』中庸和衷中庸・中和と曰ふが如きは、皆徳の名なり。中庸は、甚だ高からずして常に行ふべき者を謂ふ。孝弟忠信の如き是れなり。孔子の時、礼楽興らずして、民中庸の徳有ること鮮し。故に孔門の学は、中庸を以て要と為す。諸を「遠きに行くは必ず邇きよりし、高きに登るは必ず卑きよりす」に辟ふ。所謂高明・精微・広大なる者は、皆中庸より之を導く。故に子思曰く「中庸に道る」と。中庸の徳有りと雖も、苟も道を学ばざれば、則ち以て君子と為すに足らず。故に孔子は民を以て之を言ふ。又た「小人の中庸」及び「中庸を択ぶ」の文有り。戦国の時、又た「其の材中庸に及ばず」の言有り。世俗流伝して、其の本義に非ずと雖も、亦た以て古言を見るべきのみ。庸の字の如きは、楽徳に亦た祇庸有り。之を神祇に用ふる者を祇と為し、之を民に用ふる者を庸と為す。書の所謂「庸庸祇祇」も亦た然り。民の功を庸と曰ふ。豈に易らざるの義ならんや。宋儒は辞に昧く、務めて精微の解を為し、亦た以て聖人の道に命く。誤れり。
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『弁名』禮周礼の「礼を以て中を教ふ」、是れ或いは釈者の言、誤りて経文に入る者のみ。然れども亦た古の言なり。蓋し先王の礼を立つる、以て民の極と為す。極は中なり。賢者をして俯して之に就き、不肖者をして企てて之に及ばしむ。故に之を中と謂ふ。人をして過不及無きの理を求めて以て礼と為さしむるに非ざるなり。書に曰く、「民の心中罔し、惟れ爾の中」と。是れ所謂中とは、聖人の独り知る所にして、衆人の及ぶ所に非ず。故に礼を立てて以て民の極と為すなり。後世義理の学盛んにして、儒者唯だ義理を是れ視、礼に就きて以て其の中を求むるを知らず、徒らに其の臆に中るを取りて、是れ以て礼に合ふべしと謂ふ。周子の中正を以て礼智に易ふるが如き是れなり。人間北を看て南と成し、東家の西は、西家東と為す。恣に其の意を以て之を言へば、中是に於てか移り、極是に於てか壊る。豈に悲しからずや。且つ聖人の礼を立つるや、世の日に文に趨くを慮る。故に其の以て中と為す者、豈に必ずしも過不及無きの謂ならんや。学者之を思へ。
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『弁名』聖夫れ聖人聡明睿智の徳は諸を天に受く。豈に学びて至るべけんや。其の徳の神明にして測られざる、豈に得て窺ふべけんや。故に古の学びて聖人と為る者は、唯だ湯・武・孔子のみ。故に古の善く聖人を学ぶ者は、必ず聖人の教に遵ひ、礼楽以て徳を成す。子思の言ふ所是れのみ。孟子は言、礼楽に及ばずと雖も、然れども其の所謂「人以て堯舜と為るべし」とは、亦た唯だ「堯の服を服し、堯の言を誦し、堯の行を行ふのみ」を謂ふ。必ずしも聖人と為るを求めざるなり。後儒乃ち二子の之を言ふ所以の意を察せず、妄りに聖人と為るを求めんと意ふ。是に於てか聖人の徳を詳論して以て学者の標準と為さんと欲し、遂に聖人の心は渾然たる天理、陰陽徳を合はせ、偏らず倚らずの説有り。是れ其の心を操ること鋭く、聖智を以て自ら処り、其の測るべからざる者を測ることを喜びて、学ぶべからざる者を以て之を人人に強ふ。其の究め必ず徳の至れる者を立てて以て之を律す。則ち其の古聖人の徳を優劣するも亦た勢の必ず至る所なり。其の説は孟子に根ざすと雖も、然れども附益する所豈に小小ならんや。之を要するに学ばざるの過のみ。豈に悲しからずや。
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