弁名 / 公正直
直者曲之反。其於德。謂伸己之義。不曲從人也。直道者謂不枉其道也。如三代之所以直道而行也者。謂無所低昂於道也。仁齋先生喜言直字。乃以不僞爲直。倭人之陋也。蓋誤解父爲子隱子爲父隱直在其中矣。是葉公以訐爲直。故孔子以隱言之。如史魚之直。豈無隱之義哉。擧直錯諸枉。是以積材之道爲喩。材木以直爲良。以枉爲不良。故直以喩善人。枉以喩不善人。不爾。皐陶伊尹之德。豈史魚之倫哉。孟子枉尺直尋。本語出處之義耳。仁人君子道大德宏者。其所行乃有似枉似汚者。如孔子獵較。見陽貨欲適佛肹公山不狃。皆然。後儒狹中小量。固執孟子之言。推諸一切。非矣。大氏直雖美德。亦一德也。如伯玉卷而懷之。其不必直者可知矣。故君子惡擧一而廢百。
新字:直者曲之反。其於徳。謂伸己之義。不曲従人也。直道者謂不枉其道也。如三代之所以直道而行也者。謂無所低昂於道也。仁斎先生喜言直字。乃以不偽為直。倭人之陋也。蓋誤解父為子隠子為父隠直在其中矣。是葉公以訐為直。故孔子以隠言之。如史魚之直。豈無隠之義哉。挙直錯諸枉。是以積材之道為喩。材木以直為良。以枉為不良。故直以喩善人。枉以喩不善人。不爾。皐陶伊尹之徳。豈史魚之倫哉。孟子枉尺直尋。本語出処之義耳。仁人君子道大徳宏者。其所行乃有似枉似汚者。如孔子猟較。見陽貨欲適仏肹公山不狃。皆然。後儒狭中小量。固執孟子之言。推諸一切。非矣。大氏直雖美徳。亦一徳也。如伯玉巻而懐之。其不必直者可知矣。故君子悪挙一而廃百。
書き下し
直は曲の反なり。其の徳に於けるは、己の義を伸べて、曲げて人に従はざるを謂ふなり。直道は其の道を枉げざるを謂ふなり。「三代の直道にして行ふ所以なり」の如き者は、道に低昂する所無きを謂ふなり。仁斎先生は喜んで直の字を言ひ、乃ち偽らざるを以て直と為す。倭人の陋なり。蓋し「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直其の中に在り」を誤解す。是れ葉公は訐くを以て直と為す、故に孔子は隠を以て之を言ふ。史魚の直の如き、豈に隠すの義有らんや。「直きを挙げて諸を枉れるに錯く」は、是れ材を積むの道を以て喩へと為す。材木は直を以て良と為し、枉を以て不良と為す。故に直は以て善人に喩へ、枉は以て不善人に喩ふ。爾らずんば、皐陶・伊尹の徳、豈に史魚の倫ならんや。孟子の「尺を枉げて尋を直くす」は、本出処の義を語るのみ。仁人君子の道大に徳宏き者は、其の行ふ所乃ち枉に似、汚に似たる者有り。孔子の猟較し、陽貨に見え、仏肹・公山不狃に適かんと欲するが如き、皆然り。後儒は狭中小量にして、孟子の言を固執して、諸を一切に推す。非なり。大氐直は美徳なりと雖も、亦た一徳なり。伯玉の巻きて之を懐にするが如き、其の必ずしも直ならざる者知るべし。故に君子は一を挙げて百を廃するを悪む。
現代語訳
直は曲の反対である。徳としては、自分の正しいと思う筋を伸ばし、曲げて人に従わないことをいう。直道とはその道を曲げないことである。「夏殷周三代が直道によって行ったゆえん」というのは、道について上げ下げするところがないことをいう。仁斎先生は直の字を好んで語り、偽らないことを直とした。これは日本人の浅はかさである。思うに「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直はその中にある」を誤解したのだろう。これは葉公が(父の罪を)暴くことを直としたので、孔子は隠すことで答えたのである。史魚の直のようなものに、どうして隠すという意味があろうか。「まっすぐな者を挙げて曲がった者の上に置く」は、材木を積む方法をたとえにしたものである。材木はまっすぐなのを良しとし、曲がったのを良くないとする。だから直で善人を、枉(曲がり)で善くない人をたとえたのである。そうでなければ、皐陶や伊尹の徳が、どうして史魚と同列であろうか。孟子の「一尺を曲げて八尺をまっすぐにする」は、もともと出処進退の意味を語ったにすぎない。仁者・君子で道が大きく徳の広い者は、その行いにかえって曲がっているように見えたり、汚れているように見えたりするものがある。孔子が(魯の慣習の)猟較に加わり、陽貨に会い、仏肹や公山不狃のもとへ行こうとしたなどは、みなそうである。後の儒者は心が狭く度量が小さいので、孟子の言葉に固執して、それをあらゆることに押し広げる。誤りである。おおよそ直は美徳ではあるが、一つの徳にすぎない。蘧伯玉が(国に道がないときは才能を)巻いて懐にしまったように、必ずしも直でなくてよい場合があるのはわかるだろう。だから君子は一つを挙げて百を捨てることを嫌うのである。
解説
この章句が説くこと
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