弁名 / 公正直
公者私之反。衆所同共。謂之公。己所獨專。謂之私。君子之道。有與衆共焉者。有獨專焉者。書曰。無偏無黨。王道蕩蕩。無黨無偏。王道平平。大學曰。平天下。中庸曰。天下國家可均也。論語曰。不患寡而患不均。又曰。公則說。是均平皆公也。內則曰。由命士以上。父子皆異宮。所以全其私也。論語曰。父爲子隱。子爲父隱。孟子曰。吾聞之也。君子不以天下儉其親。八議有議親。皆私也。是公私各有其所。雖君子豈無私哉。祇治天下國家貴公者。爲人上之道也。故孔子曰。奉三無私以勞天下。言聖人之法天道也。及於宋儒以天理之公人欲之私立說。則求之太深。幾乎無恩焉。仁齋先生譏之者是矣。然遂至欲併論語公字刪之。則亦懲羹吹韲之類已。學者察諸。
新字:公者私之反。衆所同共。謂之公。己所独専。謂之私。君子之道。有与衆共焉者。有独専焉者。書曰。無偏無党。王道蕩蕩。無党無偏。王道平平。大学曰。平天下。中庸曰。天下国家可均也。論語曰。不患寡而患不均。又曰。公則説。是均平皆公也。内則曰。由命士以上。父子皆異宮。所以全其私也。論語曰。父為子隠。子為父隠。孟子曰。吾聞之也。君子不以天下倹其親。八議有議親。皆私也。是公私各有其所。雖君子豈無私哉。祇治天下国家貴公者。為人上之道也。故孔子曰。奉三無私以労天下。言聖人之法天道也。及於宋儒以天理之公人欲之私立説。則求之太深。幾乎無恩焉。仁斎先生譏之者是矣。然遂至欲併論語公字刪之。則亦懲羹吹韲之類已。学者察諸。
書き下し
公は私の反なり。衆の同じく共にする所、之を公と謂ふ。己の独り専らにする所、之を私と謂ふ。君子の道には、衆と共にする者有り、独り専らにする者有り。書に曰く「偏無く党無く、王道蕩蕩たり。党無く偏無く、王道平平たり」と。大学に曰く「天下を平らかにす」と。中庸に曰く「天下国家均しくすべし」と。論語に曰く「寡なきを患へずして均しからざるを患ふ」と。又た曰く「公なれば則ち説ぶ」と。是れ均平は皆公なり。内則に曰く「命士より以上は、父子皆宮を異にす」と。其の私を全くする所以なり。論語に曰く「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」と。孟子曰く「吾之を聞く、君子は天下を以て其の親に倹せず」と。八議に議親有り。皆私なり。是れ公私各々其の所有り。君子と雖も豈に私無からんや。祇だ天下国家を治むるに公を貴ぶ者は、人の上たるの道なり。故に孔子曰く「三無私を奉じて以て天下に労す」と。聖人の天道に法るを言ふなり。宋儒の天理の公、人欲の私を以て説を立つるに及びては、則ち之を求むること太だ深く、恩無きに幾し。仁斎先生の之を譏る者は是なり。然れども遂に論語の公の字を併せて之を刪らんと欲するに至りては、則ち亦た羹に懲りて韲を吹くの類のみ。学者諸を察せよ。
現代語訳
公は私の反対である。人々が同じく共にするところを公といい、自分ひとりが専らにするところを私という。君子の道には、人々と共にするものもあれば、ひとりで専らにするものもある。書経に「偏りなく党派なく、王の道は広々としている。党派なく偏りなく、王の道は平らかである」とあり、大学に「天下を平らかにする」、中庸に「天下国家を均しくすることができる」、論語に「少ないことを心配せず、均しくないことを心配する」、また「公平であれば人々は喜ぶ」とある。均しく平らかであることは、みな公である。一方、礼記の内則に「命を受けた士以上は、父と子が別々の住まいに住む」とあるのは、それぞれの私を全うさせるためである。論語に「父は子のために隠し、子は父のために隠す」とあり、孟子に「君子は天下のためだからといって親への孝養を倹約しない、と聞いている」とあり、刑を減ずる八議には親族を議する項がある。これらはみな私である。つまり公と私にはそれぞれの持ち場がある。君子といえども私がないわけがあろうか。ただ天下国家を治めるのに公を尊ぶのは、人の上に立つ者の道である。だから孔子は「三つの無私(天は私に覆わず、地は私に載せず、日月は私に照らさない)を奉じて天下のために労する」と言った。聖人が天道にのっとることを言ったのである。宋儒が「天理の公、人欲の私」で説を立てると、求めることが深すぎて、ほとんど情愛がなくなってしまった。仁斎先生がこれを批判したのは正しい。しかしついに論語の「公」の字まで削ろうとしたのは、熱い吸い物に懲りて冷たい和え物まで吹くたぐいである。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・周官公を以て私を滅すれば、民其れ允に懷かん。
-
論語・先進篇顔淵死す。顔路、子の車を請いて以て之が槨を為らんとす。子曰く、「才も不才も、亦た各々其の子と言うなり。鯉や死せるとき、棺有りて槨無し。吾徒行して以て之が槨を為らず。吾大夫の後に従うを以て、徒行す可からざるなり。」
-
論語・季氏篇陳亢、伯魚に問いて曰く、「子も亦た異聞有りや。」対えて曰く、「未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『詩を学ばずんば、以て言うこと無し。』鯉退きて詩を学ぶ。他日、又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『礼を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『礼を学ばずんば、以て立つこと無し。』鯉退きて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり。」
-
老子・第5章天地は不仁、万物を以て芻狗と為す。聖人は不仁、百姓を以て芻狗と為す。天地の間は、其れ猶お橐籥のごときか。虚しくして屈きず、動きて愈々出づ。多言なれば数々窮す、中を守るに如かず。
-
尉繚子・將理凡そ将は理官なり、万物の主なり、一人に私せず。
-
『武士道』第十六章 武士道の命脈・武士道の日は既に数えられたり彼等は公平を欲せず、自家の賛誉を博すべきものと、他宗教の形式の誹毀すべきものとを打算計量するを以て其喜びとす、と。されど個々人々の犯せる過誤の如何に関せず、彼等の信ずる基督教の真髄は、吾人が武士道の将来を観察するに当りて、必ずや考究せざるべからざる一大勢力あり。武士道の日は既に数へられたり。視よ、凶兆天に懸りて其未来を指示す。ただに兆証あるのみならず、又た強大なる諸多の勢力の、之れが威圧転覆に黽むるあり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る