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弁名 / 公正直

正者邪之反。循先王之道。是謂正。不循先王之道。是謂邪。如邪謀邪說。可以見已。辟諸規矩準繩。所以爲正之器也。循規則圓者正。循矩則方者正。循準繩則平直者正。先王之道。規矩準繩也。故循先王之道而後爲正。曾子曰。吾得正而斃焉斯已矣。以大夫之簀非禮也。經解曰。禮之於正國也。猶衡之於輕重也。繩墨之於曲直也。規矩之於方圓也。詩曰。其儀不忒。正是四國。孔子曰。其身正。不令而行。其身不正。雖令不從。皆以禮言之。

新字:正者邪之反。循先王之道。是謂正。不循先王之道。是謂邪。如邪謀邪説。可以見已。辟諸規矩準縄。所以為正之器也。循規則円者正。循矩則方者正。循準縄則平直者正。先王之道。規矩準縄也。故循先王之道而後為正。曽子曰。吾得正而斃焉斯已矣。以大夫之簀非礼也。経解曰。礼之於正国也。猶衡之於軽重也。縄墨之於曲直也。規矩之於方円也。詩曰。其儀不忒。正是四国。孔子曰。其身正。不令而行。其身不正。雖令不従。皆以礼言之。

書き下し

正は邪の反なり。先王の道に循ふ、是れを正と謂ふ。先王の道に循はざる、是れを邪と謂ふ。邪謀・邪説の如き、以て見るべきのみ。諸を規矩準縄に辟ふ、正を為す所以の器なり。規に循へば則ち円なる者正しく、矩に循へば則ち方なる者正しく、準縄に循へば則ち平直なる者正し。先王の道は規矩準縄なり。故に先王の道に循ひて而る後に正と為す。曾子曰く「吾正を得て斃れなば斯れ已まん」と。大夫の簀は礼に非ざるを以てなり。経解に曰く「礼の国を正すに於けるや、猶ほ衡の軽重に於ける、縄墨の曲直に於ける、規矩の方円に於けるがごときなり」と。詩に曰く「其の儀忒はず、是の四国を正す」と。孔子曰く「其の身正しければ、令せずして行はる。其の身正しからざれば、令すと雖も従はず」と。皆礼を以て之を言ふ。

現代語訳

正は邪の反対である。先王の道に従うことを正といい、先王の道に従わないことを邪という。「邪謀」「邪説」などを見ればわかる。これを規(コンパス)・矩(さしがね)・準縄(水準器と墨縄)にたとえれば、それらは正しさを作る道具である。規に従えば円が正しくなり、矩に従えば四角が正しくなり、準縄に従えば平らかでまっすぐなものが正しくなる。先王の道は規矩準縄である。だから先王の道に従ってはじめて正となる。曾子は(臨終に)「私は正しさを得て死ねばそれでよい」と言った。大夫用の敷物は(身分に合わず)礼にかなわないからである。礼記の経解篇に「礼が国を正すのは、はかりが重さを、墨縄が曲直を、規矩が円と四角を正すようなものだ」とある。詩経に「その儀礼に誤りがなく、四方の国を正す」とあり、孔子は「その身が正しければ、命令しなくても行われる。その身が正しくなければ、命令しても従わない」と言った。どれも礼について言っている。

解説

正とは先王の道に従うことであり、規矩準縄に従えば円も四角もまっすぐな線も正しく描けるように、正しさは外にある基準によって決まる、と徂徠は定める。曾子が臨終に身分不相応の敷物を替えさせたのも、礼に従うことが正だったからである。「身正しければ令せずして行はる」も礼に則った身の処し方をいう。正しさを各自の感覚に委ねると、組織はばらばらになる。共有された基準や手順があってこそ、人は迷わず正しく動けるし、上に立つ者の模範も意味を持つのである。

この章句が説くこと

正礼規矩先王模範弁名

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