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弁名 / 謙讓遜不伐

謙與恭相似。但恭不敢高也。有卑意。謙不敢當也。有退意。如陳子禽曰子爲恭也。則謙也。讓爭之反。推以與人也。辭讓相似。辭者不受耳。遜不爭也。有柔順意。多以出言言之。其言柔順。不與物忤也。如遜位揖遜。則讓也。不伐者。有功而不伐其功也。皆盛德之事也。君子學禮樂以成其德。則和順積乎中而其英華發乎外者如此。夫不伐者。禹之德也。讓者。堯舜泰伯之德也。禹之功賴萬世而不伐。大矣哉。堯讓舜。舜讓禹。正德之道於是乎成。而萬古帝王之道立焉。大矣哉。泰伯讓而文武之澤被一代。亦大矣哉。是皆非以一己之節也。非聖人其孰能之乎。自孟子好辯。歸重於舜禹之受。而堯舜之讓不明矣。悲哉。

新字:謙与恭相似。但恭不敢高也。有卑意。謙不敢当也。有退意。如陳子禽曰子為恭也。則謙也。譲争之反。推以与人也。辞譲相似。辞者不受耳。遜不争也。有柔順意。多以出言言之。其言柔順。不与物忤也。如遜位揖遜。則譲也。不伐者。有功而不伐其功也。皆盛徳之事也。君子学礼楽以成其徳。則和順積乎中而其英華発乎外者如此。夫不伐者。禹之徳也。譲者。堯舜泰伯之徳也。禹之功頼万世而不伐。大矣哉。堯譲舜。舜譲禹。正徳之道於是乎成。而万古帝王之道立焉。大矣哉。泰伯譲而文武之沢被一代。亦大矣哉。是皆非以一己之節也。非聖人其孰能之乎。自孟子好弁。帰重於舜禹之受。而堯舜之譲不明矣。悲哉。

書き下し

謙は恭と相似たり。但だ恭は敢へて高しとせざるなり、卑き意有り。謙は敢へて当たらざるなり、退く意有り。陳子禽の「子は恭を為すなり」と曰ふが如きは、則ち謙なり。譲は争の反、推して以て人に与ふるなり。辞と譲と相似たり。辞は受けざるのみ。遜は争はざるなり、柔順の意有り。多く言を出だすを以て之を言ふ。其の言柔順にして、物と忤はざるなり。「遜位」「揖遜」の如きは、則ち譲なり。不伐は、功有りて其の功を伐らざるなり。皆盛徳の事なり。君子礼楽を学びて以て其の徳を成せば、則ち和順中に積みて英華外に発する者此くの如し。夫れ不伐は禹の徳なり。譲は堯・舜・泰伯の徳なり。禹の功は万世に頼られて伐らず、大なるかな。堯は舜に譲り、舜は禹に譲り、正徳の道是に於いて成りて、万古帝王の道立つ。大なるかな。泰伯譲りて文武の沢一代に被る、亦た大なるかな。是れ皆一己の節を以てするに非ざるなり。聖人に非ずんば其れ孰か能く之をせんや。孟子の弁を好みてより、重きを舜禹の受くるに帰して、堯舜の譲明らかならず。悲しいかな。

現代語訳

謙は恭と似ている。ただ恭は高ぶらないことで、へりくだる意味がある。謙は当然の待遇を受けようとしないことで、身を退く意味がある。陳子禽が(子貢に)「あなたは謙遜しているのでしょう」と言ったのは、謙のことである。譲は争の反対で、押しやって人に与えることである。辞と譲は似ているが、辞はただ受けないだけである。遜は争わないことで、柔らかく従う意味がある。多くは言葉を発する場面について言い、その言葉が柔らかく、物事に逆らわないことである。「遜位(位をゆずる)」「揖遜(礼をして譲る)」などは譲の意味である。不伐とは、功績があってもそれを誇らないことである。これらはみな盛んな徳のことである。君子が礼楽を学んで徳を成せば、和やかな従順さが内に積もり、その美しさが外に現れるのは、このようなものである。不伐は禹の徳であり、譲は堯・舜・泰伯の徳である。禹の功績は万世が頼るほどなのに誇らなかった。偉大である。堯は舜に譲り、舜は禹に譲り、徳を正す道がここに成って、万古の帝王の道が立った。偉大である。泰伯が(弟に国を)譲って、文王・武王の恵みが一代を覆った。これも偉大である。これらはみな一個人の節操によるものではない。聖人でなければ誰にできようか。孟子が弁論を好んでから、重点が舜や禹の受けた側に移り、堯や舜の譲ったことの意味がはっきりしなくなった。悲しいことである。

解説

謙・譲・遜・不伐という似た語を、徂徠は細かく分ける。恭は高ぶらないこと、謙は当然の待遇から身を退くこと、譲は人に与えること、遜は言葉で逆らわないこと、不伐は功を誇らないこと。そのうえで、堯舜の禅譲や泰伯の譲国、禹の不伐は、個人の節操ではなく天下を後代に開く大事業だったと強調する。孟子以降、受けた側ばかり論じられ譲った側の偉大さが忘れられたと嘆く。後継者に地位を譲り、手柄を誇らない経営者の決断が組織の次の時代をつくるのも同じことである。

この章句が説くこと

謙譲恭不伐禅譲弁名

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