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弁名 / 恭敬莊愼獨

按經傳所言。有曰正其衣冠。尊其瞻視。儼然人望而畏之。曰齊明盛服。非禮不動者。此主宗廟朝廷之上行大禮言之。至於居不容。申申夭夭。則有不必然者焉。宋儒不知一張一弛之道。專務矜持。至於有不近於人情者焉。亦不知敬之本於敬天。而徒持其敬故耳。夫先王之道。敬天爲本。詩書禮樂。莫不皆然。故學者苟識是意。則學習之久。自有不期然而然者。何必持爲。若或以念念敬天言之。則亦與持敬何擇也。

新字:按経伝所言。有曰正其衣冠。尊其瞻視。儼然人望而畏之。曰斉明盛服。非礼不動者。此主宗廟朝廷之上行大礼言之。至於居不容。申申夭夭。則有不必然者焉。宋儒不知一張一弛之道。専務矜持。至於有不近於人情者焉。亦不知敬之本於敬天。而徒持其敬故耳。夫先王之道。敬天為本。詩書礼楽。莫不皆然。故学者苟識是意。則学習之久。自有不期然而然者。何必持為。若或以念念敬天言之。則亦与持敬何択也。

書き下し

経伝の言ふ所を按ずるに、「其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くし、儼然として人望みて之を畏る」と曰ひ、「斉明盛服して、礼に非ざれば動かず」と曰ふ者有り。此れ宗廟朝廷の上に大礼を行ふを主として之を言ふ。「居るに容づくらず」「申申夭夭」に至りては、則ち必ずしも然らざる者有り。宋儒は一張一弛の道を知らず、専ら矜持を務め、人情に近からざる者有るに至る。亦た敬の天を敬するに本づくを知らずして、徒らに其の敬を持する故のみ。夫れ先王の道は、天を敬するを本と為し、詩書礼楽、皆然らざるは莫し。故に学者苟も是の意を識らば、則ち学習の久しき、自ら期せずして然る者有らん。何ぞ必ずしも持せんや。若し或いは念念に天を敬するを以て之を言はば、則ち亦た持敬と何ぞ択ばんや。

現代語訳

経書や伝の言うところを考えると、「衣冠を正し、目つきを重々しくし、おごそかで人が仰ぎ見て畏れる」とか、「身を清め礼服を整え、礼にかなわなければ動かない」とかいうものがある。これは宗廟や朝廷で大礼を行う場面を主として言ったものである。「家にいるときは容儀をつくろわない」「(孔子の家居は)のびのびとして和やかだった」というところになると、必ずしもそうではない。宋儒は、張りつめたりゆるめたりする道を知らず、もっぱら気を張って身を持することに努め、人情に合わないところまで行ってしまった。これも敬が天を敬うことに基づくことを知らず、ただ敬を保とうとしたからにすぎない。そもそも先王の道は天を敬うことを根本とし、詩書礼楽もすべてそうである。だから学ぶ者がこの意味をわきまえれば、学び習うことが久しくなるうちに、おのずと期せずしてそうなるところがある。どうしてわざわざ保とうとする必要があろうか。もし「一念一念に天を敬う」などと言うなら、それも持敬と何の違いがあろうか。

解説

経書には厳粛な威儀を説く言葉があるが、それは宗廟や朝廷で大礼を行う場面のことで、孔子も家では寛いでいた。宋儒は張りつめたりゆるめたりの使い分けを知らず、いつも気を張ることを敬と取り違え、人情からかけ離れてしまったと徂徠は言う。敬は天を敬う根本さえ心得ていれば、学び続けるうちに自然と身につくもので、意識して保つものではない。職場でも、公式の場とくつろぐ場のメリハリがない組織は息苦しい。常時の緊張は誠実さの証ではなく、かえって持続しないのである。

この章句が説くこと

敬持敬一張一弛礼宋儒弁名

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