弁名 / 恭敬莊愼獨
仁齋先生負英邁之資。抱特見之智。然其不知古文辭也。是以不能讀六經。則不知敬天敬鬼神先王之道以此爲本。故能知朱子持敬之非。而不自知其猶未離宋儒之域也。猶且傲然自高。獨任其臆。而岐先王孔子之道而二之。是其論敬而曰徒謂敬民事者。所以有所不通也。豈不惜乎。學者察諸。
新字:仁斎先生負英邁之資。抱特見之智。然其不知古文辞也。是以不能読六経。則不知敬天敬鬼神先王之道以此為本。故能知朱子持敬之非。而不自知其猶未離宋儒之域也。猶且傲然自高。独任其臆。而岐先王孔子之道而二之。是其論敬而曰徒謂敬民事者。所以有所不通也。豈不惜乎。学者察諸。
書き下し
仁斎先生は英邁の資を負ひ、特見の智を抱く。然れども其れ古文辞を知らざるなり。是を以て六経を読むこと能はず。則ち天を敬し鬼神を敬するは先王の道の此を以て本と為すを知らず。故に能く朱子の持敬の非を知りて、自ら其の猶ほ未だ宋儒の域を離れざるを知らず。猶且つ傲然として自ら高しとし、独り其の臆に任せて、先王・孔子の道を岐ちて之を二にす。是れ其の敬を論じて「徒だ民事を敬するを謂ふ」と曰ふ者の、通ぜざる所有る所以なり。豈に惜しからずや。学者諸を察せよ。
現代語訳
仁斎先生はすぐれた資質を持ち、独自の見識をそなえていた。しかし古文辞を知らなかった。そのため六経を読むことができず、天を敬い鬼神を敬うことを先王の道が根本としていることを知らなかった。だから朱子の持敬の誤りは見抜けても、自分がまだ宋儒の域を出ていないことには気づかなかった。そのうえ傲然と自分を高しとし、ひとり自分の憶測に任せて、先王の道と孔子の道を分けて二つにした。仁斎が敬を論じて「ただ民の事を敬うことをいう」と言ったのが、通じないところがあるのはこのためである。惜しいことではないか。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
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