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福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第6段

例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固より家内に行わるるといえども、あたかも親愛、恭敬、孝悌の空気の中に包羅せられて特に形を現わすを得ず。その行わるるや不規則なるが如くにして、ただ精神を誠の一点に存し、以て幸福円満欠くることなきを得るのみ。然るに戸外の公徳は、ややもすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陥らんとするの弊なきにあらず。最も憂うべき所にして、ある人の説に十全の正直は十全の親愛と両立すべからずといいしも、この辺の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳を歎き、未だ誠に至らずなど言うは、その言不分明にして徳の公私を分かたずといえども、意のある所を窺えば、公徳の働きに情を含むこと未だ足らずして、私徳の円満なるが如くならずというの意味を見るべし。されば今、公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし、誠意誠心を発達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風こそ最第一の肝要なれ。即ち家に居り家族相互いに親愛恭敬して人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、この公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。

新字:例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固より家内に行わるるといえども、あたかも親愛、恭敬、孝悌の空気の中に包羅せられて特に形を現わすを得ず。その行わるるや不規則なるが如くにして、ただ精神を誠の一点に存し、以て幸福円満欠くることなきを得るのみ。然るに戸外の公徳は、ややもすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陥らんとするの弊なきにあらず。最も憂うべき所にして、ある人の説に十全の正直は十全の親愛と両立すべからずといいしも、この辺の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳を嘆き、未だ誠に至らずなど言うは、その言不分明にして徳の公私を分かたずといえども、意のある所を窺えば、公徳の働きに情を含むこと未だ足らずして、私徳の円満なるが如くならずというの意味を見るべし。されば今、公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし、誠意誠心を発達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風こそ最第一の肝要なれ。即ち家に居り家族相互いに親愛恭敬して人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、この公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。

書き下し

例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固より家内に行わるるといえども、あたかも親愛、恭敬、孝悌の空気の中に包羅せられて特に形を現わすを得ず。その行わるるや不規則なるが如くにして、ただ精神を誠の一点に存し、以て幸福円満欠くることなきを得るのみ。然るに戸外の公徳は、ややもすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陥らんとするの弊なきにあらず。最も憂うべき所にして、ある人の説に十全の正直は十全の親愛と両立すべからずといいしも、この辺の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳を嘆き、未だ誠に至らずなど言うは、その言不分明にして徳の公私を分かたずといえども、意のある所を窺えば、公徳の働きに情を含むこと未だ足らずして、私徳の円満なるが如くならずというの意味を見るべし。されば今、公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし、誠意誠心を発達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風こそ最第一の肝要なれ。即ち家に居り家族相互いに親愛恭敬して人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、この公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。

現代語訳

たとえば支那流に道徳の文字を並べ、親愛・恭敬・孝悌・忠信・礼義・廉潔・正直などと記して、その公私の区別を吟味すれば、親愛・恭敬・孝悌は私徳の純粋なもので、忠信・礼義・廉潔・正直は公徳の部に属するだろう。思うに忠信以下の箇条ももとより家内で行われるが、あたかも親愛・恭敬・孝悌の空気に包み込まれて、特に形を現すことができない。その行われ方は不規則のようで、ただ精神を誠の一点に置いて、それで幸福円満を欠くことがないのである。ところが戸外の公徳は、ともすれば道理に入ることが多く、冷淡無情に陥ろうとする弊がないわけではない。もっとも憂えるべき点で、ある人の説に、十全の正直は十全の親愛と両立しないと言ったのは、この辺の事情を極言したものだろう。古今の道徳論者が世人の薄徳を嘆き、まだ誠に至っていないなどと言うのは、その言葉が不分明で徳の公私を分けていないけれども、意のあるところをうかがえば、公徳の働きに情を含むことがまだ足りず、私徳が円満であるようにいかない、という意味が見て取れる。だから今、公徳の美を求めるなら、まず私徳を修めて人情を厚くし、誠意誠心を発達させて、それによって公徳の根本を固める工夫こそが第一の肝要である。つまり家にいて家族が相互に親愛恭敬して人生の至情を尽くし、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、それが発して戸外の働きに現れて公徳の美を円満にするのである。古人の言葉に、忠臣は孝子の門に出ずといったのも、決して偶然ではない。忠は公徳で孝は私徳である。その私が修まれば、この公が美しくなくなろうとしてもそうはならないのである。

解説

福沢は、親愛・恭敬・孝悌を私徳、忠信・礼義・廉潔・正直を公徳に分け、公徳を築くには先に私徳を厚くすべきだと説きます。「忠臣は孝子の門に出ず」という言葉もその裏付けとされます。「支那流」は当時の中国の呼称で、今日の感覚と異なります。身近な信頼関係の厚みが、公の場での誠実さの土台になるという見方は、組織づくりにも通じます。「誠」を軸に公私をつなぐ考え方は、個人の信頼が組織の信頼を作るという見方に近いものです。

この章句が説くこと

親愛恭敬孝悌忠信私徳が先公徳の根本忠臣は孝子の門

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