斉家論 / 上
予不學なれば、四書五經にさへ假名して讀來れり、しかるに幸なるかな、今日まで入替り聽衆もたへず、其中に親しき門弟もあり、今々の門弟には、文學を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某言所に同心し、且他をも誘ひ集る事こそ殊勝なれ、寛保元年秋の頃門弟の中來て云、武藏國に薪木賣長五郞といふ孝心なる者あり、江戶表はこの沙汰にて、則其趣き板行にあらはれしとて見せられけり、曰武藏國多摩郡府中領押立村に、長五郞といふ小百姓あり、其身貧しく、妻にもはなれ、八十八歲になる母を養ひ、其外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御惠にもあづかりしとなり、
新字:予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読来れり、しかるに幸なるかな、今日まで入替り聴衆もたへず、其中に親しき門弟もあり、今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某言所に同心し、且他をも誘ひ集る事こそ殊勝なれ、寛保元年秋の頃門弟の中来て云、武蔵国に薪木売長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則其趣き板行にあらはれしとて見せられけり、曰武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり、其身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵にもあづかりしとなり、
書き下し
予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読み来たれり。しかるに幸ひなるかな、今日まで入れ替はり聴衆もたえず、其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某が言ふ所に同心し、且つ他をも誘ひ集むる事こそ殊勝なれ。寛保元年秋の頃門弟の中来たりて云ふ、武蔵国に薪木売り長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則ち其の趣き板行にあらはれしとて見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり。其の身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其の外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵みにもあづかりしとなり。
現代語訳
私は学問がないので、四書五経にさえ仮名を振って読んできました。それでも幸いなことに、今日まで入れ替わり聴衆が絶えず、その中には親しい門弟もいます。今の門弟には文学を好む人もいますが、親しい門弟たちは、文と質のそなわった君子にはとても及ばないと思うからこそ、私の言うことに同意し、他の人まで誘って集めてくれるのは感心なことです。寛保元年の秋、門弟の一人が来て言いました。「武蔵国に薪売りの長五郎という孝行者がいて、江戸ではその評判で持ちきりです」。そしてその話が板行(印刷)されたものを見せてくれました。それによると、武蔵国多摩郡府中領押立村に長五郎という小百姓がいる。貧しく、妻にも先立たれ、八十八歳になる母を養い、子どもたちにもせがまれながら、母を大切に養って孝を尽くしたので、お上からご褒美にもあずかったということです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『斉家論』上此の長五郎、貧しき百姓薪売りの事なれば、学問の徳にて、孝行したりとも見えざれども、天下万民聞き知る程にはなれり。門弟中にも、是までは、文学なくては、学問の甲斐なきなどとおもひし者も、長五郎が事を聞き、いよいよ吾が言ふところに同心するこそ有りがたき。又去る年、門弟一書を持ち来たり見せられけり。題号は越後孝婦伝とあり。曰く、越後国三島郡出雲崎尼瀬の大工作太夫が女房は、姑に孝行なるもの也。夫作太夫も孝心なるものなれど、世のいとなみのやるせなくて、他国かせぎに出づるゆへ、女房ひとり、七十にあまる姑を介抱し、孝行をなし、是も御恵みにあづかりしよし、板行にあらはれ、普く天下にひろまるは、有りがたきにあらずや。元来仮名ものなれば、
-
論語・学而篇子夏曰く、「賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。」
-
『囲炉夜話』第二百十六則・今惟だ教ふるに文を以てするのみ文行忠信、孝悌恭敬は、孔子の教を立つるの目なり、今惟だ教ふるに文を以てするのみ。 道に志し德に據り、仁に依り藝に遊ぶは、孔門の學を為すの序なり、今但だ其の藝を學ぶのみ。
-
荀子・大略篇君子なる者にして之を好むは、其の人なり。其の人にして教へざるは、不祥なり。君子に非ずして之を好むは、其の人に非ざるなり。其の人に非ずして之を教ふるは、盗に糧を齎(もたら)し、賊に兵(へい)を借すなり。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。