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弁名 / 孝悌

孝悌不待解。人所皆知也。但古稱至德者三。泰伯之讓。文王之恭。及孝稱至德要道。是也。人無貴賤。莫不有父母。父母生之膝下。如它百行。或强壯乃能行之。唯孝。自幼可行。它百行。或非學無能行之。唯孝。心誠求之。雖不學可能。親者身之本。身者親之枝。故人君必以繼其志述其事爲孝之至。臣下必以立身揚名顯其父母爲孝之至。唯孝可以通神明。唯孝可以感天地。是其所以爲至德也。和順天下。必自孝弟始。故先王立宗廟養老之禮。以躬敎天下。是其所以爲要道也。

新字:孝悌不待解。人所皆知也。但古称至徳者三。泰伯之譲。文王之恭。及孝称至徳要道。是也。人無貴賤。莫不有父母。父母生之膝下。如它百行。或強壮乃能行之。唯孝。自幼可行。它百行。或非学無能行之。唯孝。心誠求之。雖不学可能。親者身之本。身者親之枝。故人君必以継其志述其事為孝之至。臣下必以立身揚名顕其父母為孝之至。唯孝可以通神明。唯孝可以感天地。是其所以為至徳也。和順天下。必自孝弟始。故先王立宗廟養老之礼。以躬教天下。是其所以為要道也。

書き下し

孝悌は解を待たず、人の皆知る所なり。但だ古に至徳と称する者三あり。泰伯の譲、文王の恭、及び孝を至徳要道と称する、是れなり。人貴賤と無く、父母有らざる莫し。父母之を膝下に生む。它の百行の如きは、或いは強壮にして乃ち能く之を行ふ。唯だ孝のみ幼きより行ふべし。它の百行は、或いは学ぶに非ずんば能く之を行ふ無し。唯だ孝のみ、心誠に之を求むれば、学ばずと雖も能くすべし。親は身の本、身は親の枝なり。故に人君は必ず其の志を継ぎ其の事を述ぶるを以て孝の至りと為し、臣下は必ず身を立て名を揚げ其の父母を顕はすを以て孝の至りと為す。唯だ孝のみ以て神明に通ずべく、唯だ孝のみ以て天地を感ぜしむべし。是れ其の至徳為る所以なり。天下を和順するは、必ず孝弟より始む。故に先王宗廟養老の礼を立てて、以て躬ら天下を教ふ。是れ其の要道為る所以なり。

現代語訳

孝悌(親への孝と年長者への従順)は説明するまでもなく、誰もが知っていることである。ただ古くから「至徳(最上の徳)」と称されたものが三つある。泰伯が国を譲ったこと、文王の恭しさ、そして孝を「至徳要道」と称したことである。人は身分の上下を問わず、父母のない者はいない。父母は子を膝元に生む。ほかの多くの行いは、成長して力がついてはじめて行えるものもあるが、孝だけは幼いときから行える。ほかの多くの行いは、学ばなければ行えないものもあるが、孝だけは心から真剣に求めれば、学ばなくてもできる。親は身の根本であり、身は親の枝である。だから君主は必ず親の志を継ぎ、その事業を受け継ぐことを孝の極みとし、臣下は必ず身を立て名をあげて父母の名を世に表すことを孝の極みとする。ただ孝だけが神明に通じ、ただ孝だけが天地を感動させる。これが至徳である理由である。天下を和らげ従わせるには、必ず孝悌から始める。だから先王は宗廟と養老の礼を立て、自ら天下に模範を示して教えた。これが要道(肝要な道)である理由である。

解説

孝悌の項は「解を待たず」と始まり、他の項のような論争は少ない。孝が「至徳」なのは、誰にでも親がおり、幼い子でも学ばずに心から行える徳だからである。君主にとっては親の志と事業を継ぐこと、臣下にとっては身を立て親の名を顕すことが孝の極みとなる。孝が「要道」なのは、天下を和らげる起点となるからで、先王は宗廟と養老の礼で自ら示した。家業や事業の承継も、先代の志を継ぎ事業を受け継ぐ孝として捉え直すことができる。

この章句が説くこと

孝孝悌先王至徳礼承継

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