弁名 / 義
又如樂記曰。仁以愛之。義以正之。春作夏長仁也。秋歛冬藏。義也。大傳曰。自仁率親。等而上之至于祖。名曰輕。自義率祖。順而下之至于禰。名曰重。鄕飮酒之義曰天地嚴凝之氣。始於西南而盛於西北。此天地之尊嚴氣也。此天地之義氣也。天地溫厚之氣。始於東北而盛於東南。此天地之盛德氣也。此天地之仁氣也凡此之類。亦雖皆論說道藝之言。然斯已岐仁義而二之。有以盭乎孔門之舊者也。
新字:又如楽記曰。仁以愛之。義以正之。春作夏長仁也。秋歛冬蔵。義也。大伝曰。自仁率親。等而上之至于祖。名曰軽。自義率祖。順而下之至于祢。名曰重。郷飲酒之義曰天地厳凝之気。始於西南而盛於西北。此天地之尊厳気也。此天地之義気也。天地温厚之気。始於東北而盛於東南。此天地之盛徳気也。此天地之仁気也凡此之類。亦雖皆論説道芸之言。然斯已岐仁義而二之。有以盭乎孔門之旧者也。
書き下し
又楽記に曰く、「仁以て之を愛し、義以て之を正す」と。「春に作り夏に長ずるは仁なり、秋に歛め冬に蔵するは義なり」と。大伝に曰く、「仁よりして親に率ひ、等して之を上して祖に至る、名づけて軽と曰ふ。義よりして祖に率ひ、順ひて之を下して禰に至る、名づけて重と曰ふ」と。郷飲酒の義に曰く、「天地厳凝の気は、西南に始まりて西北に盛んなり。此れ天地の尊厳の気なり。此れ天地の義気なり。天地温厚の気は、東北に始まりて東南に盛んなり。此れ天地の盛徳の気なり。此れ天地の仁気なり」と。凡そ此の類は、亦た皆道芸を論説するの言なりと雖も、然れども斯れ已に仁義を岐ちて之を二つにす。以て孔門の旧に盭る者有るなり。
現代語訳
また『礼記』楽記に「仁によって愛し、義によって正す」とあり、「春に生じ夏に育つのは仁であり、秋に収め冬に蓄えるのは義である」とある。大伝には「仁によって親から順にたどり、等級ごとに上って祖先に至るのを軽といい、義によって祖先から順にたどり、下って父の廟に至るのを重という」とある。郷飲酒の義には「天地の厳しく凝り固まった気は、西南に始まり西北で盛んになる。これは天地の尊厳の気であり、天地の義の気である。天地の温かく厚い気は、東北に始まり東南で盛んになる。これは天地の盛んな徳の気であり、天地の仁の気である」とある。およそこうした類は、いずれも道と芸を論じた言葉ではあるが、すでに仁と義を分けて二つにしている。孔子の門の古いあり方に背くところがある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』義「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「君仁なれば仁ならざる莫く、君義なれば義ならざる莫し。」
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『童子問』卷中問ふ。仁義を孔孟学問の宗旨と為すは、何ぞや。曰く、孟子の書は、論語の旨を述ぶる者なり。而して仁義の二字は、是れ開巻第一義なり。七篇の書、言言句句、仁義の功を説くに非ざるは莫し。其の性善を言ふは、仁義の実に己に有るを明らかにするなり。浩然の気を言ふは、仁義の功用を論ずるなり。千言万語至つて多端なりと雖も、仁義の二字に総括せざるは莫し。親を親しむより之を充てて、朋友・郷党・識る所の疎薄の人に至り、慈愛の心、周遍浹洽して、底らざる所無く、而して一毫残忍忮害の念無き者、之を仁と謂ふ。一取舎の間より之を充てて、辨別分明、苟も其の義に非ざれば、則ち之に禄するに天下を以てすとも顧みざる者、之を義と謂ふ。他の卓行偉績、取るべき有りと雖も、然れども少しく仁に於て闕くること有れば、則ち皆徳と為すに足らず。義に於て欠くこと有れば、亦之を称するに足らず。智とは、斯の二者を知りて去らざる、是れなり。礼とは、斯の二者を節文する、是れなり。皆仁義の推なり。仁義の孔孟学問の宗旨たる所以は、此を以てなり。
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