弁名 / 義
易大傳曰。何以聚民。曰財。理財正辭。禁民爲非。曰義。論語曰。見利思義。又曰。君子喩於義。小人喩於利。是民以營生爲務。故以財利爲心者。民之業爲爾。君子學先王之道。仕以共天職。故以義爲其道也。理財正辭。禁民爲非。亦略擧仕者所務官守之事言之。理財者。家宰司徒司空之事。正辭者。宗伯之事。禁民爲非者。司馬司寇之事也。
新字:易大伝曰。何以聚民。曰財。理財正辞。禁民為非。曰義。論語曰。見利思義。又曰。君子喩於義。小人喩於利。是民以営生為務。故以財利為心者。民之業為爾。君子学先王之道。仕以共天職。故以義為其道也。理財正辞。禁民為非。亦略挙仕者所務官守之事言之。理財者。家宰司徒司空之事。正辞者。宗伯之事。禁民為非者。司馬司寇之事也。
書き下し
易の大伝に曰く、「何を以て民を聚めん、曰く財。財を理め辞を正し、民の非を為すを禁ずる、曰く義」と。論語に曰く、「利を見ては義を思ふ」と。又曰く、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」と。是れ民は生を営むを以て務と為す。故に財利を以て心と為すは、民の業為ればなり。君子は先王の道を学び、仕へて以て天職を共にす。故に義を以て其の道と為すなり。「財を理め辞を正し、民の非を為すを禁ず」とは、亦た略〻仕ふる者の務むる所の官守の事を挙げて之を言ふ。財を理むる者は、家宰・司徒・司空の事なり。辞を正す者は、宗伯の事なり。民の非を為すを禁ずる者は、司馬・司寇の事なり。
現代語訳
『易』の大伝(繋辞伝)に「何によって民を集めるか。財である。財を治め、言葉を正し、民が悪事をするのを禁じること、これを義という」とある。『論語』に「利益を見たら義を思う」とあり、また「君子は義に明るく、小人は利に明るい」とある。これは、民は生計を立てることを務めとするので、財や利を心にかけるのが民の仕事だからである。君子は先王の道を学び、仕えて天から与えられた職務を共に担う。だから義をその道とするのである。「財を治め、言葉を正し、民の悪事を禁じる」とは、仕える者が務める官の職分をおおまかに挙げて言ったものである。財を治めるのは家宰・司徒・司空の仕事、言葉を正すのは宗伯の仕事、民の悪事を禁じるのは司馬・司寇の仕事である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『囲炉夜話』第百九十三則・義の中に利有り義の中に利有り、而して義を尚ぶの君子は、初めより利に計り及ぶに非ざるなり。 利の中に害有り、而して利に趨るの小人は、並びに其の害為るを顧みざるなり。
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『五常訓』巻之四・義一見利思義。利は一切の我が身の便よき事なり。財禄にかぎらず。財禄を得るも、亦其中にあり。わが身のため便よく、或はたからを得、禄を得る事ありとも、得べきか得べからざるか、唯義のある処を思ふべし。利をむさぼりて、義を忘るべからず。義と利とは、善と悪と、君子と小人とのわかるる処なり。義とは天理の公なり。利は人欲の私なり。専わが身の為よきやうにするは利なり。我が身を利せんとすれば、必人に害あり。是悪なり。人に害あれば、必我が禍となる。人を利するは、是義なり。義あれば、道理と和する故、利を求めずして、自ら利は其内にあり。されども利を得んため義を行ふは、私意なり。君子のする所にあらず。
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『五常訓』巻之四・義張南軒、義と利とを説いて曰、義は為にする処なくして為るなり。利は為にする所有りて之を為すなり。いふ意は、義は唯我がすべき道なればするなり。名聞利養か何ぞ、わが身の為にするにはあらず。もし名聞利禄私愛のためにするは、義にあらず。是利なり。董子の言まことに至れるかな。張南軒の説も、亦道理分明なり。共に諸子にすぐれたり。君子の道は、万事の行皆義理に志して、我が身のために計らず。是君子の心とする処、小人のことなる処なり。たとひ天下に公なる善事を行ふとも、心にわが為にする私あらば、是義に非ず、利なり。小人の身に善行なくして、心ひとへに利をむさぼりて、義をすつるは、言ふに足らず。たとひ人ありて、身に行ふこと善なれど、其心に露ほども、わが利を計りねがふ所ありて行はば、郷里のほまれある人といへども、義にあらず。
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『五常訓』巻之五・智一天命を知るとは、人の吉凶禍福死生は、皆定まれる天命あり。生れつきたる分限あり。分外のさいはひを、人にへつらひ求めても、神にへつらひ祈りても、必得べからざる事を知るを云ふ。然るに、小人は天命を知らず。わざはひあれば、手立を以てのがれんとし、利をねがひては、人にへつらひて、富貴福禄を得んとす。ここを以て、義理をすて、利欲にしたがひて恥ぢず。又いのるまじき理を知らで、神にへつらひて、福を求め、禍をのがれんとす。君子は義理をたつとんで、天命を知る故に、義にそむける事は、大なる利を得るといへど行はず。害ありといへども避けず。天命の求むべからざるを知りて、義に害なしといへども求めず。しかるに、若みだりに利を求め、害をのがれんとして、其益なきことをせば、天命を知らずして、愚なりと云ふべし。何ぞ君子とすべけんや。
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『慎思録』巻之三凡そ君子と小人との由りて分かるる所は、固より義を好むと利を好むとの間に在り。且つ衣服器物と雑芸との好悪する所に至りても、亦各同じからざる有り。小人の好む所は、毎に淫靡と鄙俗とに在り。君子の好む所は、毎に質良と典雅とに在り。其の好悪する所を観て、亦君子小人の分見はる。好悪慎まざるべけんや。古は天子巡守して、詩を陳ねて以て民風を観、賈を納れて以て民の好悪する所を観る。志淫なれば好辟なり、と。亦此の意なり。欧陽子曰く、其の好む所を視て、以て其の人を知るべし、と。
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呂氏春秋・愼行①行は孰せざる可からず。孰せざれば、深谿に赴くが如く、悔ゆと雖も及ぶ無し。君子は行を計りて義を慮り、小人は行を計りて利を其するも、乃ち利ならず。不利の利を知る者有れば、則ち與に理を言う可し。
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