弁名 / 義
韓退之曰。行而宜之之謂義。朱子曰。義者。心之制。事之宜。是皆不知義爲先王之義。乃取諸臆以爲義也。夫取諸臆以爲義。是非義之義所由生也。朱子本於孟子義內之說。然孟子之意。亦謂先王率人性以立道。故義有所合於人心耳。豈以義爲性乎。其在先王。誠亦取諸其心焉耳矣。然先王之意本爲安民故也。且其聰明睿智之德。通天地之道。盡人物之性。故所立以爲義者。千差萬別。各合其宜。是豈人人所能哉。且不知義以安民爲本。徒據宋儒之說。取諸其臆以爲義。是後世之說。雖若可觀。而其所以盭於先王之道者。爲是故也。
新字:韓退之曰。行而宜之之謂義。朱子曰。義者。心之制。事之宜。是皆不知義為先王之義。乃取諸臆以為義也。夫取諸臆以為義。是非義之義所由生也。朱子本於孟子義内之説。然孟子之意。亦謂先王率人性以立道。故義有所合於人心耳。豈以義為性乎。其在先王。誠亦取諸其心焉耳矣。然先王之意本為安民故也。且其聰明睿智之徳。通天地之道。尽人物之性。故所立以為義者。千差万別。各合其宜。是豈人人所能哉。且不知義以安民為本。徒拠宋儒之説。取諸其臆以為義。是後世之説。雖若可観。而其所以盭於先王之道者。為是故也。
書き下し
韓退之曰く、「行ひて之を宜しくする之を義と謂ふ」と。朱子曰く、「義は心の制、事の宜なり」と。是れ皆義の先王の義為るを知らず、乃ち諸を臆に取りて以て義と為すなり。夫れ諸を臆に取りて以て義と為す、是れ非義の義の由りて生ずる所なり。朱子は孟子の義内の説に本づく。然れども孟子の意も、亦た先王人性に率ひて以て道を立つ、故に義は人心に合ふ所有ると謂ふのみ。豈に義を以て性と為さんや。其の先王に在りては、誠に亦た諸を其の心に取るのみ。然れども先王の意は本と民を安んずるが為の故なり。且つ其の聡明睿智の徳、天地の道に通じ、人物の性を尽くす。故に立てて以て義と為す所の者、千差万別、各〻其の宜しきに合ふ。是れ豈に人人の能くする所ならんや。且つ義の民を安んずるを以て本と為すを知らず、徒らに宋儒の説に拠り、諸を其の臆に取りて以て義と為す。是れ後世の説、観るべきが若しと雖も、而して其の先王の道に盭る所以の者は、是が為の故なり。
現代語訳
韓愈(退之)は「行って宜しきを得ること、これを義という」と言い、朱子は「義とは心の裁き、事の宜しさである」と言う。これはどちらも、義が先王の義であることを知らず、自分の考えから取って義としたものである。自分の考えから取って義とすること、これこそ義でない義が生まれるもとである。朱子は孟子の「義は内にある」という説に基づく。しかし孟子の意図も、先王が人の本性に沿って道を立てたので、義は人の心にかなうところがある、と言っただけである。どうして義を本性としたであろうか。先王の場合は、たしかに自分の心から取った。しかし先王の意図はもともと民を安んじるためであった。しかもその聡明で深い知恵の徳は天地の道に通じ、人と物の本性を知り尽くしていた。だから立てた義は、千差万別でありながらそれぞれ宜しきにかなっている。これがどうして誰にでもできることであろうか。しかも義が民を安んじることを根本とするのを知らず、ただ宋儒の説に依って自分の考えから取って義とする。後世の説は一見もっともらしいが、先王の道に背いてしまう理由はここにある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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